2サムエル17:1-22

「人の計画は空しく、神のわざは素晴しい」 内田耕治師

父ダビデに対して謀反を起こして王位を奪ったアブシャロムは自分の王権を固めるためにアヒトフェルを自分の相談役にしました。当時、知恵者アヒトフェルの進言は人々に神のことばのように受け止められていました。ダビデを討伐するための会議で彼は“逃亡中のダビデ達は今疲れて気力を失っているから自分が1万2千人の兵士達を連れて今夜出て襲い打ち取ります。”と提案しました。それは良い案でしたが、不思議なことにアブシャロムは、昨日までダビデに仕えていたフシャイにも意見を述べさせました。フシャイは、ダビデと一緒に逃げるつもりだったのをダビデがエルサレムの情勢を知るために残した者だから、祭司達とともに信用されず、疑いの目で見られていた人物です。また計画を採用されなかったアヒトフェルはその後、自殺しました。

フシャイは、ダビデとその家来達は戦い慣れた勇士だからアヒトフェルが追跡して攻撃したら必ずこちら側にも死傷者が出てしまい、それがイスラエル人の気持ちを挫いてアブシャロムの王権への大きなダメージになってしまうから今は時間をかけて数多くの兵士達を集めて圧倒的な力でアブシャロム自身が戦いに出て、ダビデやその家来達を打ち取るべきですという意見を言いました。すると、不思議なことに“この度のフシャイの図り事はアヒトフェルの図り事よりも良い”という声が上がり、フシャイの計画が採用されることになりました。このフシャイの計画はダビデに有利に働くように上手く仕組まれたものでした。アブシャロムが時間をかけてたくさんの兵士を集めている間にダビデとその家来達はマハナイムに逃げて疲れをいやし態勢を立て直すことができたからです。ダビデ軍はその後、その力を遺憾なく発揮し勝利しました。またダビデは家来達の意見によって戦いに出ることを控えました。

一方、アブシャロムはフシャイの計画に従って戦いに出ましたが、それがかえって災いとなり彼は戦死してしまいました。さらに決定的なことがありました。アヒトフェルの計画かフシャイの計画かまだ決まらない時、フシャイは、まだ荒野にいたダビデ達に早くヨルダン川を渡って逃げるように知らせるために祭司の息子達を送りましたが、彼らの動きは知られてアブシャロムの家来達が追いかけて来ました。

彼らはバフリムのある人の家にある井戸に入りましたが、その人の妻がとっさの判断で覆いを井戸の口にかけ、その上に麦をまき散らしたので追手は彼らを見つけませんでした。その結果、ダビデ達はマハナイムに無事逃れることができ、フシャイの計画しか選択肢がなくなり、その計画によって神のわざがなされました。

フシャイや井戸に覆いをした女のことを思うと、伝道者の書9章の”貧しい1人の知恵ある者”を思い出します。この知恵ある者は地位もなく名もない人でしたが、彼の知恵によって大王に攻められて滅亡の危機にあった町が解放されました。同じように信用されないフシャイの計画や名もない女のとっさの知恵によって神のわざがなされ、アブシャロムは敗れ、ダビデが王としてエルサレムに返り咲く道筋ができました。私達1人1人も置かれた所で主に従えば、私達を通して神のわざがなされます。私達の社会は、霊的なことは勿論のこと、愛が冷え、交わりが希薄になり、希望がなくなる危機的な状態になっています。でも、小さく名もない私達を神は用いてこの社会を変えようとしているのです。