コロサイ3:5-11

“人間よ。創造主に帰れ”  内田耕治師

 

「さあ、人をわれわれのかたちとして、われわれの似姿に造ろう。こうして彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地の上を這うすべてのものを支配するようにしよう。神は人をご自身のかたちに創造された。」  創世記1:26-27

創造主は天地万物を造りました。その中で人間は特別です。ヒンズー教や仏教は人間と他の動物や植物の間に区別を設けないで同じ生き物、同じ物質という面を強調するので、そこから輪廻転生の考え方が出て来ます。けれども、聖書は神のかたちという言葉で人間と他の動物や植物を明確に区別するので輪廻転生がありません。

神のかたちという言葉は創世記に少しと新約聖書にそれらしきものが少しあるだけで数少ない言葉ですが、いろんな意味を含む面白い言葉です。たとえば、それは人間の命の尊厳、善悪の判断ができる倫理性を表します。また人間が神のみこころに従って神のみこころ通りにこの世界を治める者として置かれたことを表わします。そのために人間は本来、神とともに歩み、神に聞き従うべき存在です。ところが、人間は罪を犯して創造主である神から離れてしまい、神のかたちが損なわれてしまいました。それを堕落と言います。堕落は、創世記3章で人類最初の人アダムとエバが悪魔に誘惑されて神が禁じた善悪の知識の木から食べて神から離れて行ったことから始まりました。あれ以来、人類はどんどん神から離れて神を忘れて、中には自分が神だと言い出す者も出て来ました。神のみこころなど全く無視して自分達の思いのままにこの世を治めるようになり、豊かで便利だけれども、愛や義ではなく、自分達の欲望を第一として自分達の思いのままに世界を治め、偽りや腐敗に満ち、平和ではなく争いや戦いがよく起こる世界を築き上げてしまいました。

そうなってしまった根本原因は人間が神から離れて神に聞き従うことがなくなり、神のみこころがわからなくなったことです。それは神のかたちが損なわれたことです。けれども神はそのかたちを回復するために大昔から神はそれぞれの時代に預言者を遣わして人々に神に立ち返り、神に聞き従うべきことを説きました。そして最終的に神は1人の救い主をこの世に遣わしました。それが神の御子イエスキリストです。私達はイエスキリストを通して神のもとに帰り、神のかたちを回復することが出来ます。

「あなたがたは古い人をその行いとともに脱ぎ捨てて、新しい人を着たのです。新しい人は、それを造られた方の“かたち”に従って新しくされ続け、真の知識に至ります。」

キリストを通して神に帰ることは、古い人を脱ぎ捨てて新しい人を着ることによく例えられます。新しい人を着るとは、うわべだけ新しくなるのではなく、私達の中身も変わっていくことです。この“かたち”とは何か?その前の「それを造られた方」とは神のことだから神の造られた“かたち”とは神のかたちのことです。神のかたちは人間が神から離れたことによって損なわれました。けれども、それはイエスキリストを信じることを通して回復するのです。キリストを信じて神のかたちが回復すると、そのかたちに従って新しくされ続けて成長する歩みが始まります。キリストを信じて新しい人を着たと言っても、現実的には古いものがまだまだ残っているからです。真の知識とありますが、これは私達の生き方や人格にかかわるものです。それは神のみこころです。真の知識があるとは、神とともに歩み、神に十分に聞き従うことができ、神のみこころがよくわかることです。

「真の知識」はどんなものか?ある程度の具体的な例を示しています。「そこには、ギリシャ人もユダヤ人もなく、割礼のある者もない者も、未開の人も、スキタイ人も、奴隷も自由人もありません。キリストがすべてであり、すべてのうちにおられるのです。」太古の昔に神が人間を創造したとき、人種も民族も様々な言語もなく、同じ言葉を話す1つの人々の群れが存在しました。けれども長い歴史を通して人間は様々な人種や民族に枝分かれし、それぞれの言語や文化を持つようになり、早くに文明化した人々と未開の人々の間に大きな差があり、また奴隷と自由人とあるように社会的身分の違いが出て来ました。でも、どんな人でも人は神のかたちに造られた者です。欧米には違いばかりを注目して仲良くしようとしない人種差別の問題があります。日本もこれから外国人労働者をどんどん受け入れて欧米のような多文化社会を目指していますから、同じような問題が起こるかもしれません。そのような問題は人類が神のみこころから離れてしまった現実です。だから聖書はその現実から神のみこころに立ち返り、差別をなくすことを教えています。

まず、すべきことはどんなに違いがあっても自分と同じように神のかたちに造られたという共通性を見ていくことです。それは互いに人間として認め合うことです。次に自分と同じように神から離れ神のかたちが損なわれていることを見つめます。それは同じようにキリストを通して神に帰り、神のかたちを回復できるということにつながるからです。どんな人種でも、どんな民族でも、どんな社会的身分でもキリストを通して神に帰ることが出来るのです。イエスキリストは全人類の救い主なのです。日本ではキリスト教は欧米人の宗教だと言う人達がいますが、それは大きな間違いです。キリスト教はもともとアジアの西の果て今、中東と言われる地域から始まりました。本来ヨーロッパのものではありません。また今では欧米よりもアフリカや南米やアジアのほうがキリスト者の数が多く、盛んです。聖書はあらゆる国の人々に“キリストを通して神に帰れ”と勧めているのです。そのために昔から異民族や未開の地にキリストの福音を伝えに行く宣教師が起こされ、大変な苦労をし、時には命の危険に晒されながら宣教地に向かいました。どうしてそこまでして行くのか?神を愛し、宣教地の人々を愛し、キリストを通して神に帰ることができるという確信を持っているからです。宣教師だけではありません。私達にもだれでもキリストを通して神に帰ることができるという確信があります。