ルツ記4:1-12、マタイ10:37-38

“死んだ人の名を絶やさないためです”  内田耕治師

 

今、土地は売買ができる商品だが、昔のイスラエルは土地は神が人々に与えたものだから基本的に売買はできなかった。ある家族が没落して所有地を手放さざるを得ないとき買い戻しの権利のある親類が買い戻して一族から土地が他の人に移らないようにした。たとえ買い戻してくれる親類がいなくてもヨベルの年が来ると、土地は本来の所有者に戻ることになっていた。

一族が土地を代々所有するには、その一族が代々続く必要がある。そのためには後継ぎがなくてはならないが、後継ぎを残さないで死んだ人はどうするか?そんな場合、死んだ者の名を残すために親族のだれかが残された妻を娶り、生まれた子に死んだ者の名前をつけ、その子に土地を相続させた。だから買い戻しの優先権がある親類は、所有地を買い戻すだけでなく死んだ者の妻であるルツを娶り、子をもうけてその子に所有地を相続させるまで面倒を見る必要があった。

しかし、その親類は土地を買い戻すだけなら引き受けたが、ルツのことが出て来ると拒否した。私は以前ルツがモアブ人だからと思ったが、そうではない。その親類はルツを娶って子をもうけてその子が一人前になるまで面倒を見た場合、自分の相続地を損うほどの犠牲を払うかもしれない。しかも、そこまでしてもその子は自分の子ではないので自分の名をその子の所有地に残すことはできない。それは割りの合わないことだと考えた。そこまで犠牲を払う覚悟はなかったのである。

けれども、ボアズにはその覚悟があったので自信をもって交渉を進めることができた。当時、重要な取り決めは町の門で人々に公開する形で行われた。ボアズは優先権のある人と町の長老10人を門の所に招いた。話し合いを始めるとボアズの思惑通りに事は進んで、優先権のある親類は履き物を脱いでボアズに渡し「あなたがお買いなさい」と言ったのでボアズがナオミの土地を買い戻し、モアブ人ルツを娶ることが正式に認められた。彼の覚悟はルツを心から愛していたことから来ていた。

私達もキリストを信じることによってボアズと同じようにイエス様のために犠牲を払う覚悟がある。イエス様を愛しているからだ。「わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。自分の十字架を負ってわたしに従って来ない者は、わたしにふさわしい者ではありません。」もしイエス様よりも愛する何かがあるとイエス様を第一にするか、その何かを第一にするかでどっちつかずになり迷い苦しむ。しかし他の何よりもイエス様を愛するならば、その迷い苦しみから解放される。

でもイエス様よりも他の何かを愛する誘惑が私達によく働くので「わたしの弟子になることはできません」とイエス様は強く戒めている。そういうわけで他の何ものよりもイエス様を愛してその愛のゆえに犠牲を進んで払う覚悟で歩んでいこう。また、そうするときルツを愛したボアズは良い参考になる。ボアズはルツを心から愛したので迷いはなかった。私達も他の何よりもイエス様を愛するなら迷うことなく自分の十字架を負って主に従うことが出来る。