エレミヤ3:1-18、ルカ19:10

“失われた民の復活”  内田耕治師

 

ダビデがイスラエル王国を確立しソロモンが神殿を建てたが、レハブアムの時、王国は北イスラエルと南ユダに分裂。北に十部族、南にニ部族がついた。両者はライバルとして対立した。北イスラエルは早いうちから偶像礼拝が蔓延(はびこ)り、BC722年アッシリア帝国に滅ぼされ、多くの住民が中近東や中央アジアに移住させられた。彼らは失われた十部族と言われる。

南ユダはアッシリアの侵略から奇跡的に守られ、ヨシヤ王の頃まで独立を保っていた。けれども、偶像礼拝をさばかれて滅んだ北イスラエルの教訓を知りながら偶像礼拝にふけっていた。だから「裏切る女、妹のユダが恐れもせず、自分も行って淫行を行った」とエレミヤは批判した。また彼は滅んだ北イスラエルはやがて回復するとも語った。「町から1人、氏族から2人選び取り、シオンに連れて来る」とは散らされた人々の末裔である。イスラエルにはその末裔を帰還させるために調査する特務機関がある。そこまでするのは神は選んだ民を決して見捨てないという信仰による。

ところで私達も神に選ばれた者である。「神は、世界の基が据えられる前から、この方にあって私たちを選び、御前に聖なる、傷のない者にしようとされたのです」

私達はイスラエル人よりも遥か昔にキリストにあって神に選ばれた。だから神は選んだ私達をキリストを通して天国に帰還させてくださる。14節以降に書いてある「牧者たち」は政治指導者を指すが、彼らは国を治めても霊的な意味で人々を育てることはできないから別の方を指す。旧約時代、十戒の入った主の契約の箱は非常に大事にされたが、私達が天国へ帰還するその日には必要がなくなり再び作られることはない。そして、その日にエルサレムは主の御座と呼ばれ、万国の民が集まる。散らされた人々の末裔よりも多くの、しかもイスラエル人以外の人々が集まる。「ユダの家がイスラエルの家に加わる」北と南の和解ではなく万国の民が和解して永遠の平和が確立する。「先祖に受け継がせた地に帰って来る」末裔の帰還ではなく世界中の主の民が天国に集められる。

だから「牧者たち」とはやがて世の終わりに来られるキリストである。私達は神に選ばれながら神に背を向け失われていたが、キリストによって救われて天国への道を歩む者になった。「人の子は、失われた者を捜して救うために来たのです」私達は何もしていないのに神は神の御子キリストを与えることで私達に真実を尽してくださった。そうしていただいた私達は、次に他の失われた人達にキリストを伝えることで、その人達が天国への道を歩む手助けをして真実を尽すことができる。

2700年以上前に散らされた人々の末裔をイスラエルに帰還させる働きを聞いて感心させられるが、彼らは、所詮、悩み苦しみがあるこの世の国に帰還させるだけだ。けれども、私達は悩み苦しみがなく永遠の平和がある天国に帰還させようとしている。しかも、ただキリストを伝えるだけで、私達と同じように失われた人達はキリストに天国への道を見出し、その道を歩むようになる。これはこの世の約束の地に帰還させることよりも遥かに素晴らしいことではないか。だから、あの人この人にキリストを伝えることで神と同じように真実を尽していこう。