「私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。私の助けは、天地を造られた主から来る。」

 詩篇121:1-2 

ゴスペルに詩篇121篇を元にして作られたTotal Praiseという素晴らしい曲があります。ゴスペルにはリズミカルで軽快な曲が多い中で、ゆっくり静かに語りかけるように歌い出し、後半は盛り上がって荘厳に主を賛美する異色の曲です。Total Praiseの歌詞で特に力を込めて歌うところはYour peace you give me in time of the storm. You are the source of my strength. You are the strength of my life.(嵐つまり試練のときに主が私に平安を与えて下さる。だから主は私の力の源だ。主は私の人生の力だ。)という所です。strength(力)を日本人はついつい“ストレンス”とおとなしく発音してしまいますが、“ストレンクス”と語尾に力を込めて発音する必要があります。

ところで詩篇121篇を読むと、“試練のときの主の平安”を、Total Praiseとは異なる仕方で具体的に表現しています。“平安”は主に守られて与えられるものだから詩篇121篇はより根源的な“試練のときの主の守り”を語っています。今年の夏は非常に暑いですが、それ以上にイスラエルがある中東は日差しが非常に強く暑いところなので、詩篇の作者は太陽から来る炎熱を人生の試練にたとえて「主は、あなたを守る方。主はあなたの右の手をおおう陰。昼も、日があなたを打つことがなく、夜も月が、あなたを打つことがない。」と語っています。暑い昼でも木陰にいたら涼しいように“主の陰にいたら日が打つことがない”はわかりやすい表現ですね。

けれども“月が打つことはない”とは何でしょうか?中東で昔、旅人は昼の暑さを避けて夜、旅をしたことがあったそうですが、月の光は人の理性を狂わせるという言い伝えがあったので“月が打つことはない”という表現が生まれたそうです。いずれにせよ、主は襲いかかる試練や誘惑を避けるための避難所なのです。

さらに詩篇121篇は「主はすべてのわざわいから、あなたを守り、あなたのいのちを守られる。主はあなたを、行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる。」と語っています。主なる神は、天地を造り、その中に住む人間を造って、それでお終いではなく、「私の助けは天地を造られた主から来る」ですから、いつも目を覚まして私達を見守り、必要なときには助けを与えてくださいます。

いつも目を覚まして守って下さることについて詩篇121篇は「主はあなたの足をよろけさせず、あなたを守る方は、まどろむこともない。見よ。イスラエルを守る方は、まどろむこともなく、眠ることもない。」と語っています。主なる神は眠る必要のないお方だから四六時中、私達を見守っておられます。主なる神は私達にとって恵み深い助け手なのです。詩篇121篇をご自分でよく読んでお確かめください。