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10月15日は、講壇交換で、久留米聖書教会の渡辺英治先生がメッセージを取りついてくださいました。

第一ヨハネ4:7-21

『互いに愛し合いましょう』  渡辺英治師

 

人間の罪について。

アダムは「上を見上げる者」という意味。人間には「神ではないものを神としてみてしまう心」がある。

罪=神様との仕切り。うすい紙きれであっても、目の前にかざすと仕切りになって相手が見えなくなってしまう。

罪にがんじがらめになってしまう。

ある夫婦の話。妻に対する夫の心ない言葉で、妻を傷つけていた。相手を傷つける言葉が小石として自分のポケットに入っていき、自分のポケットは重たくなって動けなくなった。やがて背中が曲がるようになる。そんな中、妻の不倫が発覚した。その時に、自分が妻を愛していたかどうかに気づかされ、悔い改めた。妻に対して感謝の言葉をかけるようになった。長年ポケットに溜まっていた小石が一つ一つ取り除かれるようになり、家が明るくなった。やがて夫婦で救いへ導かれた。

神様の愛について。

欲しかったレゴブロックを両親からプレゼントされたときの息子の喜び!

イエス様は、私たちの罪深い心の中に入ってくださり、私たちとともに掃除をし、重荷を担ってくださる方。

イエス様の愛の姿勢。弓道のたとえ。弓は的を狙って打つものではなく、姿勢で打つもの。

私たちはこの世的によく見られたい、ステータスを得たい、成功したい…と的外れになってしまうことがある。

久留米聖書教会の建設の際、渡辺師は手伝い、屋根の上に上って作業することを覚えた。

そしてそれが、熊本地震の被災地支援の際に用いられた。自分にできることを神様が用いてくださる。

私たちは両手に不必要なものを握っていないか?両手はフリーでなければ、ほかの人を助けられない。

的外れに注意しなければならない。高い交通費を出して、隣町の安いバーゲンに買いに行っていないか?

目に見えない神様が私たちを愛してくださった。

私たちは目に見える兄弟姉妹を愛そう。そこに神様の愛が全うされる(4:12)。