マタイ1:1-21

「どうして、イエスキリストはあなたの救い主か」   内田耕治師

 

2000年前に日本から遠く離れたイスラエルで生まれたイエス様がどうして自分の救い主なのか?

イエスという名前は“主は救い”という意味です。キリストはへブル語のメシヤ(救い主)をギリシャ語に訳した称号です。でも、どうしてイエスキリストが私達の救い主なのか?理由を考えてみましょう。

さてイエス様は、母となる処女マリヤが夫ヨセフとは関係なしに、聖霊によって身ごもって生まれました。生物学的な意味ではヨセフはイエス様の父ではありません。けれどもイエス様はユダヤ人であるヨセフの子として生まれました。実はそのことにイエス様が私達の救い主として来られた理由があります。ヨセフは初めマリヤを密に離縁しようと考えていました。けれども、神の御使いが夢を通して「ダビデの子ヨセフよ。恐れずにマリヤをあなたの妻として迎えなさい。その胎に宿っている子は聖霊によるのです。」という神のご計画を伝えたので、ヨセフはマリヤを妻として受け入れました。どうしてか?それはマリヤが産むイエス様が1章の前半に出て来る系図につながるためでした。イスラエル人にとって系図は自分のルーツを明らかにする証明書のようなものでした。この系図によると、ヨセフはれっきとしたダビデの子孫であり、またアブラハムの子孫でした。

大昔、神は先祖であるアブラハムにある預言を与えました。その預言とは創世記12章に出て来る「わたしが示す地に行きなさい。そうすれば―――大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとする。―――――――地上のすべての民族はあなたによって祝福される」ということでした。アブラハムはこの約束を信じ、自分の子孫の祝福を夢見て約束の地に出かけました。でも、祝福の約束はアブラハムの子孫だけではありません。全人類が対象でした。また「あなた」とはたくさんいるユダヤ人の中の1人の人でした。その1人がイエスキリストです。イエスキリストは、地上のすべての民族を祝福するというアブラハムに与えられた約束を実現する1人の子孫なのです。そういうわけでイエス様はイスラエルから遠く離れた日本にいる私達の救い主でもあるのです。ダビデにもやがてその子孫に救い主が生まれるという預言が与えられました。その預言とは「あなたの身から出る世継ぎの子を、あなたの後に起こし、彼の王国を確立させる。―――わたしはその王国の王座はとこしえまでも堅く立てられる」ということでした。ユダヤ人達はその約束を信じてダビデの子孫から、ユダヤ人の王様が現われると信じ、その王様が来たら自分達の民族を立て直して自分達の国を再建して下さると信じて待ち望んでいました。けれども、その約束は「―――とこしえまでも堅く立てる」とあるように“永遠に堅く立つ王国の王座”ですからこの地上の国ではなく天の国つまり天国のことでした。神の約束は永遠の天国への道を定める救い主をダビデの子孫から生み出すことでした。そういうわけでダビデの子孫であるイエス様は永遠の天国への道を定める救い主として2000年前この世に来られました。

人間はだれでも死ぬことになっています。死んだ後、自分はどうなるか?だれでも死後のことを恐れます。これはどの国でもどの民族でも同じ普遍的な問題ですが、イエスキリストはその問題に天国という解決を与える救い主なのです。もしイエス様がこの地上のユダヤ人の国を立てるために2000年前この世に来られたとしたら、私達と何も関係ありません。イエス様はユダヤ人の偉人であっても私達の救い主ではありません。けれども、イエス様は私達のために天国への道を定める救い主としてこの世に来られました。だからイエスキリストはユダヤから遠く離れた日本の私達にとっても救い主なのです。

また、どうしてイエスキリストがあなたの救い主なのか?それはイエス様が人間ならだれでも抱える罪からの救い主だからです。21節「―――この方がご自分の民をその罪からお救いになるのです。」

ただし罪と言っても、法律に反する悪いことをしたということではありません。ここで言う罪とは人間ならだれもが持っている罪の性質です。聖書はその性質を罪と言っています。人間は、表側をよく見せようと懸命に努力しますが、内側は良くないものが案外あるものです。それが罪なのです。例えると、美味しく見えるけれども有害な食品添加物や体に良くない着色料が含まれる加工食品のようなものです。私達は普段、自分の内にある罪に無頓着であまり気がつきません。自分は善良だと思い込んでいます。けれども神は私達の内側をよくご存知です。そしてローマ2章には「神のさばきは、神がキリストイエスによって、人々の隠れた事柄をさばかれるその日に行われる」と書いてあるように、神は私達の内側にある罪をさばかれます。そうなったら私達はもうお手上げです。神にさばかれることばかりで天国は私達から遠く離れてしまいます。神は私達を天国に招きたいと願っているのに、私達の罪が天国への道を阻んでいるのです。けれども、神はそんな私達に救いの道を与えて下さいました。それがイエスキリストです。聖霊によって身ごもった処女マリヤを通して生まれたイエス様は、大きくなってから私達の罪をその身に負って十字架にかかって下さいました。

私達はイエス様の血によって罪の赦しが与えられて神の子とされて、天国に入ることができます。私達が良い行いをしたとかしなかったかは関係なしに、神の恵みのゆえにただイエスキリストを信じることによって罪の赦しが与えられ、私達は救われて天国に入ることができます。この罪の問題は、ユダヤ人も日本人も中国人も関係ありません。どの国の人も、どの民族の人も抱える問題です。でも、イエス様はその十字架のみわざによってその問題を解決して、天国への道を開いて下さいました。イエスキリストは全人類に遣わされた救い主です。だからユダヤから遠く離れた日本にいる私達の救い主でもあるのです。

またイエス様ご自身が十字架にかけられて死んでよみがえった後、そのことを明確に言ってから神のみもとに帰りました。イエス様の弟子達はすべてユダヤ人でしたが、イエス様は昇天する前に、彼らに「あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子とせよ」と命じました。それは、大昔に神がアブラハムに与えた「地上のすべての民族はあなたによって祝福される」という約束を実現させるためなのです。“地上のすべての民族はイエスキリストによって祝福される”という約束は今も実現しつつあります。今、このようにイスラエルから遠く離れた日本でイエスキリストのことを語ることができるのも、その約束が少しずつ実現しつつある証拠です。ですから、イエスキリストはあなたの救い主なのです。