使徒20:1-12

“週1度、主にささげる日”  内田耕治師

種なしパンの祝いの日が過ぎてからパウロはトロアスに行き、そこでテモテを初めとして彼が導いた人達と落ち合いました。五旬節にはエルサレムに着いていたかったので7日間だけ滞在し、最後の日は週の初めの日(今の日曜日)ですからトロアスの人達とともに礼拝を守りました。当時キリスト者はイエス様が週の初めの日の早朝に復活したのを祝うためにその日の早朝に集会をしました。それが礼拝の起源です。礼拝にはもう1つ大切な起源があります。それはイエス様が十字架にかかる前、弟子達と最後の食事をし、その時にパンとぶどう酒で聖餐を定めたことです。初代のキリスト者はその食事会を週の初めの日の夜、行いました。それを“パンを裂くこと”と言いました。

ローマ帝国時代、週の初めの日は休日ではなかったのでキリスト者達は早朝の集会を終えたら働きに行き、1日の仕事を終えてから夜の食事会に再び集まりました。日曜日が休みになるのは迫害を乗り越えてキリスト教が公認されてからでした。だからキリスト者達は忙しいスケジュールの中で時間を何とか見つけて集まり、賛美し、祈り、みことばを学び、交わりをしてパンを裂き、その日を聖なる日としていたのです。そんな状態ですから集会中に疲れで眠くなりウトウトすることもありました。ユテコはその際立った例です。その日、人々はいつもと同じように仕事を終えてから集まりました。明日も朝から仕事があります。でも、明日にはパウロはいなくなります。だから夜遅くまで付き合いました。それで疲れていたユテコはとうとう眠りこけ、3階から落ちて死んでしまいました。けれどもパウロが下に降りて彼の上に身をかがめ、彼を抱き起すと息を吹き返し、みんなが慰めを受けました。

彼が生き返ったことは主の恵みですが、それにはそこまでして集会に参加して何とかパウロの話を聞いてみことばを学びたいと思ったユテコの志を喜ぶ主のみこころがあります。眠て休息を取る貴重な時間をささげた彼は主に聖い生きた捧げものをしたのです。私達は彼のした通りにする必要はないですが彼の志は受け継ぐべきです。“忙しくて聖書を読む時間がない忙しくて祈る時間がない忙しくて礼拝に出る時間がない”主はそう呟く人達が短くても貴重な時間をささげて聖書を読み、祈り、忙しくても何とか時間を割いて礼拝に参加することを願っておられます。忙しいとか都合がつかないとかで早々とあきらめることをしないで、できる限り努力して短い時間を捻り出してささげるなら、それが主の喜ぶ聖い生きた捧げものとなるのです。ローマ12:1を参照。