使徒19:1-11
内田耕治師
黙示録2章は「わたしは、あなたの労苦と忍耐を知っている。―――わたしの名のために耐え忍び、疲れたことがなかった」とエペソ教会を称賛しています。それはパウロやプリスキラ、アクラの良い働きを引き継ぐことができたからだと考えられますが、彼らの良い働きは2つの面があります。1つは、ツラノの講堂での宣教です。パウロは初めいつものようにユダヤ教の会堂で宣教を始めましたが、激しい反対に遭い3ケ月で終わり、ツラノという人が建てた集会所に移って宣教をしました。しかも2年間、毎日それを続けました。毎日とは大変なことですが、労苦を厭わず、忍耐して奉仕を続けることが出来ました。それで多くの人々が順調にみことばを聞くことができました。
でも、もう1つ、もっと大きな労苦がありました。福音理解の足りない人の足りない所を補い、正しい信仰に導いたことです。パウロはエペソに来てまず聖霊論の欠けた弟子達に出会いました。どうしてそうなったのか?雄弁で聖書に通じて霊に燃えていたがヨハネのバプテスマしか知らず福音理解に欠けた所があるアポロに導かれたからだと考えられます。パウロが聖霊のことを尋ねると、彼らは聖霊を知らないと答え、どんなバプテスマを受けたのか尋ねると、アポロと同じようにヨハネのバプテスマですという返事が返ってきました。それでパウロは「ヨハネは、自分のあとに来られるイエスを信じるように人々に告げて、悔い改めのバプテスマを授けたのです」と語りました。おそらくパウロはヨハネのバプテスマを土台にしてイエスキリストを語り、次に聖霊を語り、さらにイエスキリストと御霊つまり聖霊との関係を説明してバプテスマに導いたと考えられます。彼らがパウロからバプテスマを受けるかどうかは自由でしたが、彼らはパウロの説明に納得して進んでイエスの御名によってバプテスマを受けました。
御霊のことを知らなくてもイエス様を信じた者は御霊の働きで信じ、その人のうちには御霊が住んでいますが「聖霊が与えられることは、聞きもしませんでした」という状態を放置していいとは言えません。パウロもプリスキラ、アクラも福音理解の足りない所を補いましたが、それは真理への愛から来たことでした。真理への愛とは、真理を正しく知り、また正しく伝えることです。黙示録2章に「あなたが、悪い者たちをがまんすることができず、使徒と自称しているが実はそうでない者たちをためして、その偽りを見抜いたことも知っている」と書いてある通りです。エペソ教会は建て上げたパウロ達の良い働きにならって真理への愛を持ち、それを守る戦いが出来たのです。
聖書の真理は、それを正しく伝えようとするとき、それなりの労苦と忍耐を必要とします。相手に謙遜に聞く姿勢があれば問題はありませんが、聞く姿勢が十分ではないとき、それは難しい仕事です。聖書を見ると、パウロ達はスイスイと相手に足りない所を気づかせ、それを補っているように見えますが、相手の足りない所や間違いを話す時、どんなタイミングでどう話を切り出したらいいか考えたに違いありません。どんな態度や口調で接すべきか考えたに違いありません。真理を正しく伝えるのは、それなりの労苦や忍耐が伴うのです。パウロ達はエペソでその愛のゆえに労苦と忍耐を厭わず、真理を正しく伝える努力しました。それゆえその姿勢は引き継がれてエペソ教会は良い実を結ぶことができたのです。