使徒19:23-41
「偉大なのはイエスキリストだ」 内田耕治師
唯一真の神は御父、御子、御霊の三位一体という形で御自身を現わしますが、今日は神が唯一であることを中心に話します。良い品物には海賊版つまり偽物がたくさん出回るのと同じように唯一真の神にも偽物が付きまといます。だから聖書は「あなたには、わたしの他に、他の神々があってはならない」と教えています。「わたし」と名乗る唯一真の神は目に見えないお方です。反対に、偽物である他の神々は目に見える何かの形があります。それらをよく偶像と言います。目に見える形を見てわかったような気になる私達の弱さが偶像を生み出すのです。だから聖書は「偶像を造ってはならない、偶像を拝んではならない、偶像に仕えてはならない」と教えています。旧約時代のイスラエルの歴史は偶像礼拝との熾烈な戦いでした。偶像を破壊して捨てたり、偶像礼拝を教え勧める人達を排除したりしましたが、いくらそのようにしても、ほとぼりが覚めると、再び偶像が作られ、偶像礼拝が復活して盛んになる歴史を辿りました。
一方、新約時代から今に至る信仰者はこの世の武力や権力を持たないので偶像礼拝を避けながらも、偶像を破壊することはなく、かえって偶像を拝む人達とも仲良くし良い関係を保ちながら、みことばによって偶像は神ではないことを明らかにすることを心掛けてきました。
大女神アルテミスの神殿があるエペソで宣教したパウロは、自分は偶像を拝まないけれども、偶像を崇める人々の宗教心は尊重しました。そのことは町の書記役が証言しました。
けれども、パウロは機会あるごとに恐れることなく大胆に人の手が作った偶像は神ではないと明確に語りました。それはパウロに反対したデメテリオの「あのパウロが、手で作った物など神ではないと言っている」という言葉に表れています。私達も基本的にパウロと同じようなことをしています。そして私達はできる範囲で偶像を身の回りから排除する努力をしています。像がないプロテスタント教会の会堂は殺風景ですが、それでいいのです。けれども、長い間、偶像に慣れ親しんで来た人達は、急に唯一真の神を示されても拒否反応を起こし、依然として偶像に手を合わせたり、唯一真の神をたくさんいる神々の1人として思い、“唯一”ということを受け入れません。そんな人達に唯一真の神をわかっていただくために唯一の神が創造主であることを根気よく語ります。造り主だけが神であり、造り主に造られたものはすべて神ではありません。たとえば、創造主に造られた海は、神ではありません。だから海の神など存在しないのです。それから、もう1つ大切なことがあります。それは唯一真の神は御子イエスキリストをこの世に遣わし、私達の罪の身代わりとして十字架にかけ、御子の血によって私達に罪の赦しを与え、永遠のいのちへの道を歩ませて下さることです。
偶像のことを語る必要がありますが、それ以上に神の御子イエスキリストを語る必要があります。最後に次のみことばをご覧ください。
「しかし、神の御子が来て、真実な方を知る理解力を私達に与えてくださったことを知っています。それで私達は、真実な方のうちに、すなわち御子イエスキリストのうちにいるのです。この方こそ、まことの神、永遠のいのちです。子供たちよ。偶像を警戒しなさい。」 1ヨハネ5:20-21
神の御子イエスキリストを知ることが最も大切なことなのです。そして偶像は唯一真の神やその御子イエスキリストを知ることを妨げる障壁になることがあるから、警戒しなさいということなのです。
私達は偶像だらけの日本に住み、偶像に心を奪われた人々の間に生活しています。私達は偶像がいっぱいあった約束の地に入ったイスラエル人と似た状況に置かれています。そんな中で、私達は創造主である唯一真の神とその御子イエスキリストをまず宣べ伝えていきます。それは骨の折れる働きですが、それこそが着実に本当の意味で人の心から偶像を排除し、イエスキリストを通して唯一真の神を崇めるようになれるただ1つの道です。私達1人1人はそのために召されています。だから、ことばを通して証しを通して唯一真の神とその御子イエスキリストを宣べ伝えていきましょう。