哀歌3:1-24

“滅び失せなかったのは主の恵みによる”  内田耕治師

著者”私“は、イスラエル人の苦難を代表して語っています。聖書はユダ王国が弱小国だったからではなく、唯一真の神から離れて偶像の神々を追い求めたから主はバビロン帝国を用いてユダ王国を滅ぼしイスラエル人をさばいたと教えています。しかしイスラエル人は、バビロンに連れていかれてむしろ滅びないで生き延びました。それは主の恵みでした。

ところで、主の恵みによって滅びないで生き延びたという民族的な体験は日本人にもあります。今週の15日は終戦記念日、正確に言うと敗戦記念日ですが、70年以上前、日本は連合国を相手に義のないとんでもない侵略戦争を始めてアジア諸国に多大の苦しみを与えて最後は、破局を迎えて日本は滅びる寸前まで行きました。けれども滅びることを免れて今日の繁栄を築き上げることができました。それは主の恵みです。あの時代、キリスト教会も主の前では恵みのゆえに滅びを免れた存在でした。政府は明治時代に天皇を神格化するような憲法を作って以来、教会を始めとする諸宗教に圧力をかけていました。たとえば、戦前の教会にはいろんな教派がありましたが、政府の圧力で1つの教団にまとめられました。教団が成立したことを祝うために教会指導者が何と伊勢神宮に参拝しました。上に立つ者が率先して偶像礼拝の罪を犯してしまったのです。

また当時、植民地だった朝鮮の人々にも政府は同化政策の一環として神社参拝をさせようとしましたが、朝鮮のキリスト者の多くは“神社は偶像だ”と言って従わなかったので政府は伊勢神宮に参拝した日本の教会指導者を朝鮮に派遣して神社参拝をするように説得させました。あくまで反対した朝鮮のある牧師は投獄され殉教しました。そして第二次大戦に突入すると、政府は国民の精神を統一して戦争に向かわせるために教会の礼拝にも宮城遥拝や君が代を取り入れさせると教会は完全に屈服して現人神天皇を拝むという偶像礼拝を受け入れ、結果的として、とんでもない戦争に突き進む軍国主義に協力することになってしまいました。日本の教会には、このような恥ずべき歴史があるのです。

けれども日本の教会は主の恵みによって生き延びることができました。それには神のご計画があります。神殿を失ったイスラエル人がバビロン捕囚を通して聖書を中心とした会堂礼拝を始めて偶像礼拝から解放されたのと同じように、日本の教会もみことばによって圧力に屈することなく唯一真の神だけを神とする骨のある信仰に成長することです。今、私達はそのために生みの苦しみをしています。とんでもない過ちを犯した戦前の教会の体質は今の私達にもあります。主によってこの体質自体を変えていただく必要があります “天皇を拝んで偶像礼拝をしたり、朝鮮の教会にまで神社参拝を勧めた戦前の教会は問題だ”と不名誉な歴史を問い続けることは、日本の教会が骨のあるキリスト信仰を目指しながら悪戦苦闘している証しです。そのように問い続けることで神のご計画は少しづつ成就していくのです。