第二サムエル20:1-22

“主は民の名もない1人を用いられる”  内田耕治師

アブシャロムの謀反の後、ビクリの子シェバの反乱が起こりました。その反乱はアブシャロムの時と比べると規模は小さかったですが、ダビデの独裁政治に不満を持つ人達がかなりいて彼は民からは浮いた存在だったという痛い所を突くものでした。ダビデはこれまでのやり方ではダメだと思って身内のユダ族の長老達を取り込もうとしたり職業軍人のヨアブを退けてアマサを将軍に抜擢して民兵を集めようとしていました。しかし、シェバの反乱のときアマサは期限通りに民兵を集めることができなくて遅れ、結局、歴戦の勇士である職業軍人を出動させざるを得なくなり、さらに遅れて来たアマサはヨアブに殺されてヨアブは再び将軍になりました。それらは結局、ダビデが民から浮いた存在だったことを表わします。

民の不満を代弁して反乱を起こしたシェバは、初めは世直しのために立ち上がった人でした。けれども多くの人々は彼を冷ややかに見ていました。その結果、彼はアベル・べテ・マアカの町に立てこもりました。彼は追い詰められたら町の人達を人間の盾にしてでも戦おうとするテロリストでした。だから彼も民から浮いた存在でした。

民から浮いていなかったのはアベル・べテ・マアカに住む一人の名もない女だけでした。ヨアブが攻め入ろうとしていたとき彼女が出てきてヨアブと交渉してシェバ1人を引き渡したら町を攻撃しないという取り決めをしました。彼女は知恵を用いて町の人々と話し合って合意し、上手くシェバを捕まえて首をはねて城壁の上からその首をヨアブのもとに投げ落として町は救われました。彼女には勇気と交渉して話をまとめる力があり、それが用いられたのです。けれども、そう言う前にもっと基本的なことがあります。それは彼女がダビデやシェバと違ってその町に住み、生活を共にしていたことです。彼女は信頼されていたので、危険がありましたが彼女の説得によって町の人達は一致して行動することができました。

民と共に歩む者が民を救うことが出来る。これが彼女を通して示された真理ですが、その真理はまず神の在り方を捨てて人間となられたイエスキリストに表れています。またその真理は福音宣教にも表れています。

コリント人への手紙第一9章「私はだれに対しても自由ですが、より多くの人を獲得するために、すべての人の奴隷となりました。ユダヤ人にはユダヤ人のようになりました。それはユダヤ人を獲得するためです。―――弱い人々には、弱い者になりました。」

ただし私達はアベル・べテ・マアカの女性と少し違う点があります。彼女は元々アベル・べテ・マアカの人でしたが、私達は、元々はユダヤ人ではないのにユダヤ人のようになり、元々は弱い人ではないのに弱い人のようになります。それには困難や苦労が伴います。元々は違うのにそうなろうとすることは大変なことですが、私達には良い手本があります。それが神の在り方を捨てて人となられたイエスキリストです。私達が元々は違うのに魂の救いのために、そうなろうとするとき、それはキリストに倣うという素晴らしい歩みをしていることなのです。