創世記4:25-5:32

“世の初めから予告された救い主”  内田耕治師

 

人類最初の人アダムとエバは神から“善悪の知識の木の実を食べるな”と命じられていましたが、悪魔に誘惑されてエバはそれを食べてしまい、一緒にいたアダムにも勧めて彼もそれを食べてしまいました。神は彼らを問い詰めましたが、2人とも責任を転嫁して悔い改めなかったので2人は神の前に罪ある者とされました。

ローマ5:12「こういうわけで、ちょうど1人の人によって罪が世界に入り、―――」

最初の人が人類の代表として罪を犯したためにその後に続くすべての人が神の前に罪ある者とされて神が人間のために用意していた祝福から締め出されるようになりました。最初の人間は悪魔にしてやられたのです。ところで、その直後に神は誘惑した悪魔をさばいてやがて救い主が来ることを予告しました。神は蛇に対して「おまえは、このようなことをしたので、どんな家畜よりも、どんな野の生き物よりものろわれる。おまえは腹這いで動き回り、一生ちりを食べることになる。」これは悪魔に対するさばきです。

次に神は「わたしは敵意を、おまえと女との間に、おまえの子孫と女の子孫の間に置く。彼はおまえの頭を打ち、おまえは彼のかかとを打つ。」と語りました。「おまえ」や「おまえの子孫」とは悪魔のことです。「女」や「女の子孫」とは神の側に立つ人々です。「敵意」とは両者の間に戦いがあることです。「彼」はかかとを打たれながら「おまえの頭」を打ちます。それは悪魔の頭を打ち、悪魔に縛られていた人々を解放することです。だから「彼」と言われる「女の子孫」は救い主です。また救い主が女の子孫であるとは救い主が女から生まれることを表わします。以上、神の側に立ち、悪魔と敵対する「女の子孫」は救い主を予告し、やがて救い主を生み出す人々なのです。

では、その人々はだれか?アダムとエバの子孫には2つの流れがあります。彼らには先にカインとアベルという2人の息子が与えられましたが、御存知のようにカインはアベルを殺して逃げてしまいました。だから、その人々はカインの子孫ではなく、その後で生まれるセツの子孫です。神はこのセツの家系を救い主を予告し、さらに救い主を生み出す「女の子孫」として選びました。5章の系図は“神の側に立ち、救い主を予告する子孫”という意味があります。カインの子孫とセツの子孫を比べると大きな違いがあります。カインの子孫は町を建て、牧畜を始め、楽器を作り、青銅や鉄の道具を作り、さらに強い軍事力を持つ文明を築き上げました。けれどもセツのほうには文明らしきものは乏しかったようですが、その代わりにセツの子孫には神の側に立ち、救い主を予告するような人物が現れました。

エノシュとエノクとノアです。エノシュの頃、人々は主の名を呼ぶことを始めました。それは、アダムとエバの罪以来、すべての人が神から離れてしまった中で神のもとに立ち返る人達が現れたということです。それは大雑把な言い方ですが、それは救い主を予告しています。エノクの人生にはある特徴があります。それは「神とともに歩んだ」ことです。しかも繰り返し語られています。「神とともに歩んだこと」は神から離れたこととは正反対のことだから、多くの人々が神から離れている中で彼は神に立ち返り、「神が彼を取られたので、彼はいなくなった」という不思議な召され方をしました。大雑把ですが、彼も救い主を予告しています。

5章の系図の最後はノアです。ノアについて「この子は主がのろわれたこの地での、私たちの働きと手の苦労から、私たちを慰めてくれるだろう」と書いてあります。これは人々がますます神に背を向けて社会にはいろんな罪や悪が蔓延るようになり、さらに暴虐が横行する暗い世界でノアは救いをもたらす者となるだろうということです。その暗い世界は系図に「死んだ、死んだ、死んだ、――」繰り返し出て来ることに表れています。そんな世界の状態に神は心を痛めていましたが、もうこれ以上、見過ごせない酷い状態になったとき神は人類を洪水によって滅ぼすことを決意しました。けれども、神とともに歩んでいたノアは、神に言われた通りに箱舟を造りました。それで彼とその家族は洪水という神のさばきから救われました。この箱舟はキリストによる救いを表します。だから、ノアは救い主を予告しています。

ところで、イエスキリストがこの世に来られてもう2000年になる現在でも、エノシュやエノクやノアと同じように救い主を予告するために選ばれた子孫がいます。それはだれか?キリストを信じて救われた私達です。今の世界はノアの時代ほど酷くないかもしれませんが、繁栄の陰でもっと腐敗しているかもしれません。紛争がある所では酷いことが行われています。またあの時と同じようにほとんどの人々が神に背を向けた生き方をし、人生は死でもって虚しく終わるという人生観で歩んでいます。

救い主が2000年前にすでに来ていても、聖書を知らない人達や救い主を信じていない人達にとっては、救い主は来ておらず待っている状態なのです。だから私達はそんな人々に救い主を予告するためにこの世界にいるのです。今年のクリスマスも是非、エノシュやエノクやノアのように神に選ばれた子孫として“救い主があなたの心に来られること”を予告していきましょう。またクリスマスだけでなく、いつでも神とともに歩み、私達の言葉や生き方で救い主を伝えていきましょう。