「救われた喜びをもって主に仕える」  久保田周太郎牧師(熊本北聖書教会)

詩篇51篇12節

「あなたの救いの喜びを私に返し、仕えることを喜ぶ霊で私を支えてください」

 

集会① ルカ23:32-43 「神の愛と赦し」

種子島出身の久保田先生。その生い立ちと救いに至るまでの経緯を証ししてくださいました。

最初に聖書に触れたのは、康子姉さんの遺品の中にあった聖書だったという。自由奔放で母親(後妻)との折り合いが悪く、家族から勘当同然で出ていったそのお姉さんは子宮がんで誰にも看取られず、東京で寂しく生涯を終える。その遺品の中に聖書があったのだと。弟だった先生は、姉の葬儀で親族に「死んでくれて、せいせいしたね」と言われるほど嫌われていた姉のその最期が、あまりにも寂しく悲しいものであったことにショックだったという。姉の住んでいた伊豆の町を放浪し、その1年後に、奥多摩バイブルキャンプ場で救いに導かれたという。憐みぶかい神様は、決して見放されることのない方。十字架の上でイエス様は、「主よ、彼らをおゆるしください」ととりなしの祈りをささげられた。姉の書棚にまさか遺品として聖書があったとは…。神様の御計画の中に、姉がいたことを涙ながらに語ってくださいました。

 

集会⓶ 詩篇103:1-5 「わがたましいよ、主をほめたたえよ」

亡くなった康江姉さんを前に、懺悔した父。その父も救いへ導かれた。洗礼は受けられなかったが。長男(周太郎師の兄)には、「久保田家はキリスト教でいいぞ」と話したという。

認知症の母も「イエス・キリスト様を信じます」と告白。娘の康江姉さんのことを赦すか?との問いに「赦すよ」と。洗礼式の時に信仰告白と、賛美歌「主われを愛す」を覚えていた。

ちいろば先生の榎本先生のメッセージも分かち合ってくださった。

人の自分に対する言動が気にならなくなりました。「わがたましいよ、主をほめたたえよ。」

あるクリスチャンの証し。夫と子供を失くしてしまい、そのことで義理の両親から激しく憎まれ恨まれ、その家の敷居をまたぐことが許されなくなった。罵倒され、田ん

ぼに突き倒され、屈辱の長い年月を送っていたが、ある日、義母が家を訪ねてきてくれ、和解の道が開かれた。私の涙をぬぐい、屈辱の長い年月を共に歩んでくださった神様を讃美いたします、と。