士師記7:24-8:12、ピリピ2:13
「天を目ざす地上の旅人」 内田耕治師
ギデオンの箇所は8章からイスラエル人の間で不協和音が出て来て残るミディアン人を撃退できるのかどうかと思わせる。けれどもイスラエル人は勝利した。ピリピ2:13「神はみこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせて下さる方です」不協和音があり一致団結が崩れる気配がありながら勝利できたのは主が事を行わせてくださったからである。
イスラエル人の不協和音とはまずエフライム人との問題だ。ギデオンは300人で敵を攪乱して敵が逃げ出したとき、まずナフタリ、アシュル、マナセのイスラエル人に追撃するよう呼びかけた。けれども隣のエフライム人には呼びかけないで後で呼びかけた。彼らはそれが気に入らなくて文句を言い、ギデオンを激しく責めた。エフライム人の先祖はあのヨセフであり誇り高い大部族だ。彼らはマナセ族のアビエゼル人という弱小氏族のギデオンに指図されること自体が気に入らないのかもしれない。ギデオンは巧みな言葉でお世辞を言いながらエフライム人を宥めたので彼らの怒りは和らいだ。主が彼に知恵を与えて分裂の危機を免れたのである。
次に不協和音とはスコテとぺヌエルの人々との問題だ。2つのことがある。1つはイスラエル人の一致の問題だ。お腹を空かせたギデオン達が来てパンを求めた。現代の感覚だと、急に来て“パンをください”は失礼に思えるが、当時はそうでもない。むしろ民族や部族や一族を敵から守るために命がけで働く人達には当然行うべきことだった。けれどもスコテとペヌエルの人々は「まだ敵の王を討ち取っていないお前たちに、何でパンを与なければならないのか」とギデオンを見下して断った。イスラエル人には非協力的な人達もいて一枚岩ではなかったのにギデオンは何とかミディアン人を撃退することができた。それは神が事を行わせて下さったからである。
もう1つはギデオン自身の弱さの問題である。ギデオンは誇り高い大部族のエフライム人には低姿勢だったが、スコテやペヌエルに人々に侮辱されると激怒して暴言を吐いた。「そういうことなら、主が私の手にゼバフとツァルムナを渡されたとき、私は荒野の茨やとげで、おまえの体を打ちのめす」さらに酷いのはミディアン人を撃退した後、ギデオンは暴言通りのことをスコテとペヌエルの人々にしてしたことだ。6章のギデオンは臆病で手荒なことをする印象はなかったのに戦いを始めると変わって、彼の性格的な弱さが現れた。こんなギデオンでこんなイスラエル人でよく強大なミディアン人を撃退できたものだ!と思わされる。けれども勝利を得ることができた。それは神が事を行わせて下さったからである。
同じことが私達自身にも言えるのではないでしょうか。自分には足りないものだらけで人間がそれほど出来ているわけではない、自慢できるものはあまりない。そんな私達なのに、神は私達を選んで志を立てさせてくださる。そしてその志を成し遂げるために事を行わせてくださる。だから足りないものだらけで弱さを抱えた自分であっても、主がともにいて事を行わせて下さるから大丈夫という自信を持てばいい。その自信が私達のキリスト信仰だ。また何か上手くできて手柄を上げても、自分に力や才能があるからでも人間が出来ているからでもなく神が事を行わせてくださったからだ。