士師記7:9-25

“もし、あなたが恐れるなら”  内田耕治師

 

300人でミディアン人と戦おうとしたときギデオンは恐れおののき心細かったに違いない。そんな彼に主は「立ってあの陣営に攻め下れ、それをあなたの手に渡したから。もし、あなたが下って行くことを恐れるなら、あなたの従者プラと一緒に陣営に下って行き、彼らが何を言っているかを聞け。その後、あなたの手は強くなって、陣営に攻め下ることができる」と語りかけた。

主は彼の恐れをキチンと計算に入れていた。彼が夜、従者とともに敵の陣営に近づいてミディアン人の会話を聞かせるように導いたのである。その会話とはミディアン人の見た夢と、その夢の解き明かしである。パンの塊はギデオンの攻撃を表し、ひっくり返った天幕とはミディアン人の敗北を表す。ミディアン人もギデオンを恐れ、しかも自分達が敗けると思っていた。ギデオンはそれを聞いて恐れがなくなり、やればできると自信を持ち、立ち上がることができたのです。

一方ギデオンに300人しか兵力がなかったことも彼の勝利につながった。もしギデオンにもっとたくさんの兵力があったら正攻法で戦ったかもしれない。けれども、そうなった場合、物凄い殺し合いになり、双方にたくさんの死者が出、勝つことは難しかったと考えられる。だから主は敵が恐れて弱いと分かってもギデオンが無茶な戦いをすることがないように兵士の数を300に減らした。そういうわけでギデオンは角笛とたいまつで敵を攪乱するという戦法を取った。

また300人以外の採用されなかった兵士達も用いられた。活躍の場を失って残念とか臆病で無作法だから用いられなかったと思われがちだが、そうではない。彼らはミディアン人が同士討ちをしながら逃げ出したとき追撃する役割が与えられていた。彼らは攪乱作戦をするには向いてなかったが、逃げる敵を追撃するためには十分用いられた。またギデオンも攪乱作戦だけでなく後で追撃する必要を承知していたと考えられる。だから彼らが初めに採用されなかったことには、後で用いられるという主のみこころがあった。だからこの戦いは主が背後で導いた主の戦いなのです。

今、私達自身に起こっていることも、まさに主が私達を背後で導く主の戦いです。私達も自分には能力がないとか、才能がないとか、採用されなかった兵士達のように自分には活躍の場がないと嘆くことがあるが、反対に能力や才能があり過ぎて後が良くないとか、今、活躍の場があり過ぎて後が良くないこともある。だから、今、私達が能力が足りない、才能がない、活躍の場がないと嘆くことは、ギデオンや採用されなかった兵士達のように、私達が高ぶらず謙遜に仕える器に整えられてさらに主のために用いられるための主の導きなのです。

「競争は足の速い人のものではなく、戦いは勇士のものではない。パンは知恵のある人のものではなく、富は悟りのある人のものではなく、愛顧は知識のある人のものではない。すべての人が時と機会に出会うからだ」伝道者の書9:11。

私達は主の導きの中にあるから、たとえ上手く行かないことがあっても嘆き過ぎないで自分にも必ず時と機会があることを信じていきましょう。