マタイ6:10
“神の国が来てください” 内田耕治師
主の祈りの「御国が来ますように」は直訳すると「あなたの国が来ますように」です。「あなた」とは神です。この祈りは非常に短く、しかも御国と言っても捉え所がなく抽象的ですから下手をすると字面だけを読んでしまう危険性がありますが、この祈りは聖書全体を含む非常に広い内容を含んでいます。
この祈りの核となるのがイエスキリストです。神は人々のうちに神の国を形造ろうとして神の御子イエスキリストを2000年前、この世に遣わしました。この世に遣わされたイエス様は、神の国の福音を宣べ伝え、最後に人類の罪の身代わりとして十字架にかかり死んでよみがえることによって神の国を確立しました。だからイエスキリストなしには神の国を語ることはできません。神の国とはイエス様の時代になって急に現れたものではなく、それ以前の旧約聖書の時代から神が計画し、あらかじめ預言した上で今から約2000年前に現れたものです。ダニエル書2:27-44を参照。
ダニエルに鉄や粘土や青銅や金などで出来た国々の幻が示されました。それらの国々とは興ってしばらく繁栄するけれどもやがて滅びてしまうこの世の国々のことでした。でも、それらの国々とは別に天の神は1つの国を興されるという預言が与えられました。他の国々が滅ぼし合ったり自滅したりする中でその国だけは絶えることなく永遠に続きます。ダニエルに示された永遠の国がのちにイエス様が宣べ伝え、確立する神の国です。だから神の国とは旧約聖書の時代から神が計画し、あらかじめ預言された上で時が来たときにイエス様が現れて宣べ伝え、十字架のみわざを通して確立したものなのです。「御国が来ますように」とはその永遠の神の国がイエスキリストによって人のうちに形造られますようにという祈りです。
マルコ1:15「時が満ち、神の国が近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」イエス様が現れた頃、時が満ち、神の国が近づいていました。今も、時は満ち、神の国は近づいています。人々は悔い改めて福音を信じるならば、神の国にある新しい歩みを始めることができます。
さらにイエス様は神の国について語りました。マルコ4:26-29「神の国とはーー人が地に種を蒔くと、夜昼、寝たり起きたりしているうちに種は芽を出して育ちますが、どのようにしてそうなるのか、その人は知りません。地はひとりでに実をならせ、初めに苗、次に穂、次に多くの実が穂にできます。実が熟すと、すぐに鎌を入れます。収穫の時が来たからです。」
「種」とは聖書のみことばであり、「地」とはみことばを聞く人々です。畑に種を蒔いたら、水をやるという作業はあるとしても、芽を出し、育ち、実をならせることは種そのものがする仕事です。私達は種に任せるほかはありません。同じように人々にみことばの種を蒔いたならば、人々の心に神の国が形造られることは、みことばと御霊がすることです。つまり神がなさることです。私達は神に任せる祈るほかはありません。だから御国が来るように祈ります。
マルコ4:30-32「神の国はからし種のようなものです。からし種は、地に蒔かれるとき、地の上のどんな種よりも小さいのですが、蒔かれると、生長してどんな野菜よりも大きくなり、大きな枝を張って、その陰に空の鳥が巣を作れるほどになります」「からし種」とはみことばと御霊の働きによって生み出すキリスト信仰です。それが神の国です。からし種は吹けば飛ぶような非常に小さなからし種と同じように、その信仰は初め非常に小さなものですが、少しずつ成長して非常に大きくなります。神の国は初め私達の心の中に始まったことですから、人々はそれを聞くことも見ることも出来ません。けれども、やがて大きくなって人々は神の国を聞いたり見たりするようになります。どのようにしてか? 私達がイエスキリストとの関係を表に現すことによって神の国を聞いたり見たりするようになります。神の国とは基本的に心の中だけに閉じ込めておくことができないものだからです。だから、みことばを宣べ伝えて御国が来てくださいと神の国の拡大のために祈ります。
また御国が来るようにという祈りは、神の国をこの世の国々やこの世と対比させてみると、どうしてその祈りが必要なのかがよく分かってきます。聖書によると、この世の国々は滅びゆくものでありながら、神のみこころを行わせるために神が立てたしもべです。創造主である神と御子キリストだけが崇められるべきお方であり、この世の国々は神のように崇められる資格はありません。けれども、立てられている間は権威があり、私達はその権威に従わなくてはなりません。そして、この世の国々が神のしもべに留まっていれば、何も問題はありません。けれども、そんな神のしもべが“自分は神だ”と言いだして偽りの神を拝ませることがローマ帝国にも戦前の日本にもありました。ある人達は犠牲を払ってでも真の神だけを神として戦いましたが、多くの人達は残念ながら妥協して偽りの神々にも手を合わせて跪いてしまいました。だから、そのような時に「御国が来ますように」とは、迫害を恐れないで真の神だけを神として本当の神の国を明らかにし、この世の国を神のしもべの地位に留まらせてくださいという祈りです。
また迫害がなくても本当の神の国を明らかにしてくださいという祈りは必要です。2コリント4:4「この世の神が、信じない者たちの思いを暗くし、神のかたちであるキリストの栄光に関わる福音の光を、輝かせないようにしている」今の日本ではかつてのように偽りの神々を高圧的に拝ませようとすることは少なくなりました。けれども、その代わりに誘惑する物がたくさんあり、興味をそそる刺激的な情報や多様な価値観や考え方がこの世に氾濫しています。その結果、人々の思いが暗くなり、福音の光がかつてほど輝かなくなったという時代です。
そんな時代だからこそ、本当の神の国を輝かせて明らかにしてくださいと祈る必要があります。恐ろしくなるような現代社会の霊的状況を心に留めてその状況の中でも福音の光を輝かせるために「御国が来ますように、神の国が明らかにされるように」と祈りましょう。そういう祈りをささげてキリストを中心とする神の国が真理であることを明らかにして神の国を広げて行きましょう。