士師記4:1-24

“妻である女預言者”  内田耕治師

 

日本は先進国でありながら女性が社会の中で重要な地位にあまり着いていない男性中心の社会ですが、昔は世界中どこでも男性中心の社会でした。古代イスラエルもまったく同じでした。アブラハム、イサク、ヤコブ、モーセ、ヨシュアなど指導者はみな男性であり、イスラエル人が約束の地に入ってから、士師と言われる“さばきつかさ”が次々に現れましたが、オテニエル、エフデ、シャムガルーーそしてギデオン、サムソンなど、みんな男性です。けれども、4番目に例外的に女性の士師であるデボラが出てきました。しかも彼女はラピドデの妻と書いてあるように夫や家族に仕える主婦でした。

またデボラは士師として他の士師たちとは違う特異な存在でした。他の士師たちはみんな男性ですべて武器を取って戦う人達でした。けれどもデボラは武器を取って戦うことはしないで、ことばで人々を霊的に指導し、またことばことによって異民族からイスラエルを解放しました。だから聖書は彼女を「女預言者」と記しています。彼女はイスラエルの母として人々に慕われていました。

その頃、主の目に悪であることを重ねて行ったイスラエル人は弱体化してカナンの王ヤビンに支配され、ヤビンの900台の鉄の戦車隊を恐れてビクビクし、20年もの間、圧迫を受けていました。そんな中でデボラは静かに人々をみことばによって霊的に指導していました。でも、ある時、主のみ告げによってバラクという男を呼び出して主のみこころを与えて彼をカナンの王ヤビンに対して立ち上がらせました。主のみこころとは、バラクがカナンの王ヤビンの軍の長であるシセラと戦い必ず勝利できるということでした。バラクはデボラのことばでその気になりました。ただしバラクはデボラに戦いに同行することを願い、もしデボラが一緒に行けば戦いに行くが、もし一緒に行かなければ戦いに行かないという意気地がないことを言いました。けれども、彼の意気地なさは見方を変えると、みことばへの飢え渇きと取ることができます。デボラはその願いを受け入れて戦いに一緒に行きました。

デボラとともに出かけたバラクはゼブルンやナフタリから1万人のイスラエル人を集めてタボル山に陣を敷きました。一方、シセラは900台の戦車隊と兵士達をキション川に集めました。そして、デボラのことばによって励まされた1万人のイスラエル人はシセラの戦車隊を蹴散らして混乱させて撃退することができました。それから、もう1つ主のみこころがありました。「あなたが行こうとしている道では、あなたに誉れは与えられません。主は女の手にシセラを売り渡されるからです。」バラクはシセラの戦車隊と戦って勝つけれども、敵の将シセラは1人の女の手にかかって討ち取られ、バラクに誉れは与えられないということでした。1人の女とはケニ人へベルの妻ヤエルです。シセラの戦車隊は壊滅しましたが、シセラ自身は逃げてヤビンと友好関係にあったケニ人へベルの天幕に逃げ込んで匿ってもらおうとしました。けれども、へベルの妻ヤエルは、疲れて熟睡していたシセラを殺害しました。

5章のデボラの歌はヤエルのことをほめたたえています。「女の中で最も祝福されるのはヤエル、ケニ人へベルの妻、天幕に住む女の中で最祝福されている。シセラが水を求めると、彼女は乳を与え、高価な鉢で凝乳を差し出した。ヤエルは杭を手にし、右手に職人の槌をかざし、シセラを打って、その頭に打ち込み、こめかみを砕いて刺し貫いた。彼女の足元に彼は膝をつき、倒れた。膝をついた場所で、倒れて滅びた。」眠っている者を殺すことは卑劣なことです。何でそんなことをした人をほめたたえるのか?まずシセラの戦車隊にイスラエル人がずいぶん苦しめられたことが考えられますが、ヤエル自身は、みことばを知らず自分達の身を守るためにしたことながら、結果的にデボラを通して主が語られたみことば通りのことを行いました。すなわち、みことばがその通りに実現したことをほめたたえています。900台もの戦車を操り、人々に恐れられていたシセラは、たった1人の女に討ち取られたことは、強大な武力でも、恐ろしい兵器でも、みことばの前には無力だというみことばの偉大さをまず教えています。みことばは偉大だから、デボラもバラクも何よりも大事なものとしてみことばを求めたし、今の私達も何よりも大事なものとしてみことばを求めています。

「このように、主よ、あなたの敵がみな滅び、主を愛する者が、力強く昇る太陽のようになりますように」みことばは主に敵対する者の滅びと、主を愛する者の救いを宣言しています。シセラもヤビンも強大な武力を持ちながら、主に敵対したから滅ぼされ、イスラエル人はいつもビクビクする弱い者だけれども主を愛したから救われました。これがデボラの信仰でした。

ところで、イエスキリストを信じて神の愛を注がれた私達も、主なる神を愛する者とされています。かつては主に敵対する者でしたが、神の恵みのゆえに、ただイエスキリストを信じるだけで救われて神を愛する者となり、デボラやバラクと同じようにみことばを求める者となりました。この世にあって彼らと同じように、私達も恐れてビクビクする弱い存在ですが、主を愛する私達は主は決して私達を見捨てることはなく、守って救ってくださるという信仰を持っています。この世で生きていれば、必ずと言ってよいほど、試練に遭い、行き詰まることがあります。恐れてビクビクすることがあります。また上手く行かないなあと呟くこともあります。けれども、主を愛する私達を主は決して見捨てることなく救って下さいます。だから希望を失う必要はありません。

ただ必要なことがあります。それはデボラやバラクのようにみことばを求めることです。なぜなら、みことばが私達に志や励ましを与えて難しい状況でも立ち上がらせてくださるからです。1ペテロ2:1-2 「乳飲み子のように、霊の乳を慕い求めなさい」とありますが、「霊の乳」とはみことばのことです。デボラやバラクのように、みことばを慕い求めていきましょう。それが私達を成長させ、救うことですから。