ヤコブ4:1-10
“戦う欲望と戦え、そうすれば平和が生まれる” 内田耕治師
8月のこの時期はかつて国が始めた無謀な戦争が非常に多くの死者を出し、しまいに広島や長崎に原爆を落とされて悲惨な結果を残して無条件降伏で終わったことを覚える時です。今も世界中に戦争の火種があり、油断しているとすぐに戦争が起こります。個人も国と同じようにいがみ合うことがあります。基本的に国も個人も同じです。だから互いの平和のためにも祈る必要があります。
「あなたがたの間の戦いや争いは、どこから出て来るのでしょうか。ここから、すなわち、あなたがたのからだの中で戦う欲望から出て来るのではないでしょうか。」
聖書は人間の心に戦う欲望があり、その欲望の暴走が戦争や人間関係の争いを引き起こすと教えています。日本は戦う欲望を暴走させて先に攻撃し、しかも外交官が攻撃した後で宣戦布告するヘマをやらかして卑怯な奇襲攻撃をしたことになってしまいました。しかしルーズベルト大統領はで日本が戦争することは前々から知ってて、石油を禁輸し、わざと真珠湾を打たせたと言われています。日本を“戦わざるを得ない状況に追い込んだルーズベルトが悪いと言いたがる人達もいます。政治や外交には策略がつきものですから、そういうこともあったかもしれません。けれども、たとえそうであったとしても、日本の指導者は初めから勝ち目のない戦いだとわかっていながら、冷静になって思いとどまることができず、結局、戦う欲望を暴走させてしまいました。そこが問題です。どうして戦う欲望の暴走を許してしまうのか?
「あなたがたは、欲しても自分のものにならないと、人殺しをします。熱望しても手に入れることができないと、争ったり戦ったりします」
手に入らないものを無理やり手に入れようとするからです。かつての日本は欧米諸国みたいに植民地をほしがり、中国大陸の満州を占領しました。けれども、欧米諸国に“ダメです、返しなさい”と言われても返さなかったので欧米諸国は日本を従わせるために石油の禁輸をし、それが引き金となり、日本は戦う欲望を暴走させ戦争を始めました。手に入らないものを無理やり手に入れることは「自分の快楽のために悪い動機で求める」ことであり、「世を愛すること」であり「世の友となること」であり、それは「神に敵対すること」です。神に敵対するようなものを、神は与えるはずがありません。当然、神に拒否されます。神に拒否されたとき“私が間違っていました”と言って悔い改めて神に従えば問題はないのに、頭に来て戦う欲望が暴走させてしまう、それが戦争です。かつての日本は残念ながら“ダメです。返しなさい”と言われて悔い改めることができず頭に来て戦う欲望を暴走させてしまいました。普段は鳴りを潜めていますが、だれにでも戦う欲望があります。そして私達が世を愛し世の友となって神に敵対するとき、必ずと言っていいほど、鳴りを潜めていた戦う欲望が現れてきます。自分はそういう者だと認めることが“へりくだる”ことです。
「嘆きなさい。悲しみなさい。泣きなさい。あなたがたの笑いを悲しみに、喜びを憂いに変えなさい。主の御前にへりくだりなさい。そうすれば、主があなたがたを高く上げてくださいます。」
だれも嘆くことや悲しむことや泣くことや喜びを憂いに変えることを望んでいません。けれども聖書は“そういう心になりなさい、それが主の前にへりくだることだからです”と教えています。これは普段、鳴りを潜める戦う欲望こそが真の敵であり、そんな敵がよりによって自分のうちにいることに気づき、そのことを嘆き、悲しみ、泣き、憂うべきだということです。自分を滅ぼす敵が自分のうちにいたら、そうなって当然です。それが正常な感覚です。それなのに、自分のうちにいる敵に気づかないで“我々は最強だ、向かう所、敵なしだ”と喜ぶとしたら、隙だらけの油断した愚か者です。そんな愚か者は簡単に滅ぼされてしまいます。だから、むしろ嘆き、悲しみ、泣き、憂うべきです。それが“主の御前にへりくだる”ことなのです。
「神に従い、悪魔に対抗しなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります」
“へりくだる”なら自分のうちに自分を滅ぼす戦う欲望があることを意識し、何とかそれと抑えようとしますから、悪魔の言いなりにはなりません。悪魔は逃げてゆきます。だから、へりくだるとは神に従い悪魔と対抗することです。
「神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます」
遠くにいる人の声はあまりわかりませんが、近くにいる人の声はよくわかります。同じように神に近づくとは神のみこころがよくわかることです。“へりくだる”とは神に近づいて神のみこころがよくわかることです。そうすれば、神のみこころではないものを無理やり手に入れようとして戦う欲望を暴走させるようなことはありません。私達は自分がへりくだるのは勿論のこと、国や世界の指導的な立場にある人達がへりくだって戦う欲望の暴走させることがないように祈る必要があります。現実的に国をどう動かすか、世界をどう動かすかを、私達は指導者達に任せているからです。
1テモテ2:1-2「―――すべての人のために、王たちと高い地位にあるすべての人のために願い、祈り、とりなし、感謝をささげなさい。それは、私達がいつも敬虔で品位を持ち、平安で落ち着いた生活を送るためです」
戦争を始めることは一握りの指導者達の判断と決定にかかっています。彼らが神のみこころに適った良い判断や決定をしてくれたら、私達は平安で落ち着いた生活ができますが、彼らが間違った判断をして決定を下したら、戦う欲望は暴走し、平和が失われ私達の生活が破壊され、悲惨な結果を招いてしまいます。だから私達は指導者達が、戦う欲望の暴走を許すような判断や決定をしないで、へりくだって神のみこころを求める姿勢で物事を進めることができるように祈ることが必要です。それが私達のなすべき奉仕です。