マタイ6:19-24

“地ではなく天に宝を蓄えなさい”  内田耕治師

 

さて、今日の箇所には3つのことがあります。まず1つ目が19-21節、2つ目が22-23節、3つ目が24節です。この3つには1つの共通点があります。それは良いことと、良くないことの両方が書いてあることです。たとえば、1つ目は“天に宝を蓄えること”が良いこと、“地上に宝を蓄えること”が良くないこと。2つ目は“目が良いこと”が良いこと、“目が悪いこと”が良くないこと。3つ目は“神に仕えること”が良いこと、“富に仕えること”が良くないことです。

また、ざっと読んでみて1つ目と3つ目はだいたいわかりますが、2つ目の「からだの明かりは目です。ですから、あなたの目が健やかなら全身が明るくなりますが、目が悪ければ全身が暗くなります。――」はよく分かりません。こういう箇所を読むときに、このみことばの聞き手は私達ではなく2000年前のユダヤに住む人々であることを考える必要があります。彼らは“目はからだの窓であり、目を通して光が体内に入って来る。目が良い状態にあれば光がそこから十分に入って来て全身が明るくされる”と考えていました。ところで、イエス様はからだの目をその人の信仰に例えて“もし人の信仰が健全な状態なら、信仰の光が十分に入って来て信仰生活が明るくなるが、もし人の信仰が不健全な状態なら信仰の光が十分に入って来ないので闇が支配するようになる。だから信仰を健全な状態に保ちなさい”と教えました。そして信仰を健全な状態に保つことは1つ目の教えや3つ目の教えを読めば分かってきます。

1つ目の教えは、自分のために地上に宝を蓄えることをやめて、天に宝を蓄えることです。「宝」とは何か?少し後を読むと「あなたの宝のあるところ、そこにあなたの心もあるのです」から「宝」とは私達の心、私達の思いのことです。「自分のため」とは何か?自分が得をすること、つまり自分の益のためにということです。だから「自分のために地上に宝を蓄える」とは、自分の益のためにこの社会や人々に心を用いる。つまり何でも自分の益のためにこの社会や人々に自分の思いを注ぎ、気を配ることです。そういうことは結構あります。特に政治家は立派な大義名分を語りますが、その背後には本当に世のため人ためではなく次の選挙で票が欲しいという意図があります。彼らは自分のために地上に宝を蓄えようとします。政治家だけなく私達も似たことがあります。私達も自分のために地上に宝を蓄えようとするのです。けれども、そのようにして地上に蓄えた宝は虫やさびで傷物になったり、盗人が穴を開けて盗んだりします。自分の利益のためになると思って言ったこと、したことが何も実を結ぶことなく無駄になったり返って逆効果になったりするのです。だから聖書は「自分のために地上ではなく天に宝を蓄えなさい」と教えています。「地上」に対して「天」とは神のことです。それは自分の益のためを思うなら、むしろ神に心を用い、神のみこころに気を配ることです。だれかが見ていなくても見ていなくても神を思い神のみこころに気を配るならば、神の喜ぶことを心がけます。そうすれば無駄にも逆効果にもならないし、すぐには成果が出なくてもやがて良い実を結びます。

3つ目の「富ではなく神に仕えなさい」は自分のために天に宝を蓄えることの中で特に富に関することです。反対に、富のことで地上に宝を蓄えることは、神ではなく富に仕えることです。初めに言いましたが、今の世の中には富を神様のようにして仕えている一握りの富裕層が富を独占して優雅な暮らしをして多くの貧しい人々を苦しめています。一方、苦しめられている貧しい人々も、確かに富は生きていくために必要です。老後のためにも必要です。やはり富は私達にとって必要なものです。けれども、富は必要だとしても“富さえあればすべて良し、金さえあれば大丈夫、地獄の沙汰も金次第”という考え方は間違いです。それこそが富に仕えることです。ところが、富には私達にそのように思わせる恐ろしい魔力があり、そう思って富を神のような存在にして、富が主人になり、真の神をないがしろにすることが起こります。だからこそ、聖書は「だれも2人の主人に仕えることは出来ません。一方を憎んで他方を愛することになるか、一方を重んじて他方を軽んじることになります。あなたがたは神と富とに仕えることはできません」と教えています。

“富にではなく神に仕えなさい”は世界の一握りの富裕層に最も必要なメッセージです。聖書は豊かな者達が貧しい人々を虐げることについて非常に厳しいさばきのみことばを語っています。ヤコブ5:1-5「金持ちたちよ、よく聞きなさい。迫り来る自分たちの不幸を思って、泣き叫びなさい。あなたがたの富は腐り、あなたがたの衣は虫に食われ、あなたがたの金銀はさびています。そのさびがあなたがたを責める証言となり、あなたがたの肉を火のように食い尽くします。あなたがたは、終わりの日に財を蓄えたのです。見なさい。あなたがたの畑の刈り入れをした労働者の未払い賃金が、叫び声をあげています。刈り入れをした人たちの叫び声は、万軍の主の耳に届いています。あなたがたは地上で贅沢に暮らし、快楽にふけり、屠られる日のために自分の心を太らせました。」

“富にではなく神に仕えなさい”は貧しい人々も耳を傾けるべきメッセージです。貧しさから富に対する異常なまでの欲求を持ち、その欲求に従って、がむしゃらに富を求めて成功し、富裕層の仲間入りをして優雅な暮らしをするけれども、貧しかった頃のことを忘れて、自分だけが富を独占して貧しい人々が苦しんでいても何の哀れみも持たないことがあります。そうなってしまうと、まさに神ではなく富に仕えることになります。だから今の富裕層だけでなく将来、富裕層になる可能性のある貧しい人達にも“富にではなく神に仕えなさい”というメッセージが是非必要です。

また富裕層になれないけれども、極端に貧しいこともない普通の人々もお金の魔力に惑わされて“金があればすべてよし、地獄の沙汰も金次第”という考えになり富を神として富に仕えてしまい、大事な神のみこころを忘れてしまうことがあります。だから“富ではなく神に仕えなさい”は万人に必要なメッセージです。富ではなく神に仕えて自分のために天に宝を蓄えるようにしていければと願います。