2サムエル7:1-17、2ペテロ3:13

“やがて来る王様を待ち望め”  内田耕治師

 

御使いガブリエルのマリヤへの受胎告知はまだ成就していないものがある未完の預言だが、それは大昔ダビデに与えられた預言に基づく。ダビデは平和になったとき自分は杉材の家に住みながら神の箱を天幕に置くことを申し訳なく思っていると、預言者ナタンはダビデの気持ちを尊重して「あなたの心にあることをみな行いなさい」と言ったが、その後で主から示されて神殿よりももっと大事なことを語った。それはダビデの後を引き継ぐ世継ぎのことである。ダビデはその重要性がよく分かったに違いないが、さらに続けて神の遠大なご計画を語った。

「彼はわたしの名のために1つの家を建て、わたしは彼の王国の王座をとこしえまでも堅く立てる」「彼」とはダビデの次の王ではなく永遠の王であり神の子である。新約聖書によると、この「彼」とはイエスキリストであり「彼の王国」とはキリストが確立する永遠の御国である。ダビデは神の偉大さに驚きながらそのご計画を受け入れた。彼はそれ以来、やがて来る永遠の王とその王が立てる永遠の王国を信じて待ち望むようになった。

ダビデのその信仰はその後、イスラエル人に広がり彼らはメシヤがダビデの子孫から出て王国を確立することを信じて待ち望むようになった。ただし彼らはその王国を永遠の御国ではなくこの世にあり異邦人は除外したイスラエル人だけの国と考えた。それは神の本来の計画ではなかったが、ユダヤ人がその長い歴史で多くの苦難を乗り越えるためにその信仰は大いに意義があった。けれども、2020年前、神が遣わしたイエスキリストによって本当に待ち望むべきものはすべての民族や国民に開かれた永遠の御国であることが明らかにされた。

またダビデに与えられた預言もまだ成就していない所がある未完の預言である。2020年前の初臨は成就したが、世の終わりの再臨と永遠の御国もあるからだ。そういうわけで、今の私達はキリストの再臨と永遠の御国を待ち望んでいる。そのことはキリストの降誕から始まる西暦に示されている。再び来るキリストを待ち望むようになって今年で2020年経った。主はまだ来ていないから今後も待ち続ける。主の祈りの「御国が来ますように」も“いつ来られてもいいように備える”再臨の教えも待ち望む信仰を教えている。

ダビデが永遠の王とその御国を待ち望む信仰を持って以来、その信仰は広がり、その信仰を前提にして神の御子キリストはこの世に来られ、キリストが天に帰ってからも待ち望むことは続き、やがて待ち望む主が来られ、永遠の御国が確立することは私達にとって何物にも代えがたい祝福である。そのことを思うと、クリスマスに単にイエス様がマリヤを通して生まれたことを喜ぶだけでは十分でないと思わされる。マリヤを通して生まれたイエス様は、世の終わりに再臨し永遠の御国を確立してくださるキリストであることを覚えて今年も主の降誕をお祝いしよう。

「しかし、私たちは神の約束にしたがって、義の宿る新しい天と新しい地を待ち望んでいます。」