士師記14:1-20

「主は事を起こしてご計画を成し遂げる」  内田耕治師

 

サムソンは異民族との雑婚を避ける戒めを無視して情欲のままにペリシテ人の女性との結婚に突っ走り両親を嘆かせ、引き裂いた獅子の死体にいた蜜蜂の群れから取った蜜を食べて何も知らない両親にも食べさせてナジル人の誓いを破り、結婚式では獅子の死体から取った蜜をネタにしてペリシテ人に謎をかけてからかったが、彼らは彼の妻を脅迫してその答えを教えるよう要求し、彼女は泣いて彼に答えをせがみ、彼が打ち明けたことを彼女がペリシテ人に伝えて、結局サムソンが亜麻布や晴れ着を上げることになり、その怪力に物を言わせてアシュケロンの住民を虐殺し、亜麻布や晴れ着を奪った。彼はとんでもないことをしたが、神はそのご計画のゆえになすがままをさせていた。

神はご計画のゆえに、とんでもないことをなすがままにさせることが他にもある。創世記のヨセフの兄達は生意気なヨセフを憎んで彼を陥れてエジプトに奴隷として売り飛ばし、父ヤコブには“ヨセフは悪い獣に食い殺された”と嘘をついた。酷いことだ。けれども神は兄達になすがままにさせた。律法学者や祭司長達は自分達よりも正しく愛のあるイエス様を妬み、憎しみ、亡き者にしようと企てた。彼らはイエス様を不正な裁判にかけ、何も知らない民衆を扇動してイエス様を十字架にかけるように叫ばせた。酷いことだが神は彼らをなすがままにさせた。

裁判官ピラトはイエス様に罪がないことが分かっていたのに、イエスを十字架につけろと叫ぶ民衆が暴動が起こすことを恐れてイエス様を引き渡して正しいさばきを放棄した。情けないことだが神は彼のなすがままにさせた。パウロがまだサウロという名前だった頃、彼はイエス様を憎んで教会を荒らしてキリスト者達を捕え、投獄し、拷問するという酷い迫害をした。けれども、神は彼が復活の主と超自然的な出会いをするまで、彼のなすがままにさせた。神はご計画を成し遂げるためには、酷いことや情けないことをなすがままにさせるのである。

サムソンほど酷いことはしないが、私達も時々、愚かな情けないことをして挫折したり回り道をしたりする。けれども神は私達のなすがままにさせている。それは神が何らかのご計画を成し遂げるために私達を用いるからだ。だから、どんなことになろうと私達の人生には意味がある。サムソンは幸せな結婚が“あっ”と言う間に台無しになり、新妻を失い、挙句の果てに強盗殺人事件を起こしてどう思ったか?少なくとも“人生は上手く行かない”と思ったに違いない。しかし、彼がどう思おうと彼によってイスラエルをペリシテ人の支配から解放する神のご計画は進行していた。

「天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い」サムソンと同じように私達も良かれと思ってしたことが裏目に出て“人生は上手く行かない”と呟くことがあるのではないか。けれども、神の思いは私達の思いとは異なり遥かに高い。私達が呟いたり不安に思ったりする間にも私達に関わる神のご計画は進行し、そのためにすべてのことが着々と整えられている。だから、まだ見えていないけれども神は素晴らしいご計画を用意していることを信じて期待するほかはない。まだ見ぬ神のご計画を信じ期待して歩んでいこう。