マルコ16:9-20
“全世界に出て福音を伝えよ” 内田耕治師
復活したイエス様に最初に出会った者はマグダラのマリヤだ。彼女はその前にイエス様の遺体に香油を塗るために墓に行ったが、予期していなかった御使いから主の復活を伝えるように言われ、ビックリして気が動転して何も話せなかった。でもその後イエス様はじきじきに彼女に現れ、彼女は11弟子に伝えた。かつて7つの悪霊につかれていた、いかがわしさがある彼女が最初の主の復活の証人となったのは意義あることだ。
ルカ伝24章に詳しく書いてあるが田舎に向かって歩く2人の弟子にイエス様が現われた。彼らは初めその方がイエス様だと分からなかったが、エマオの家で一緒に夕食をしたときイエス様だと分かった。すぐにいなくなったが彼らは復活の主に出会った喜びに満たされてエルサレムに行き、11弟子に伝えた。この2人は初め一緒に歩くお方がイエス様だと分からないほどマイナーな弟子だったが、11弟子よりも先に二番目に主の復活の証人となった。それも意義あることだ。
11弟子はマリヤの話も2人の弟子の話も信じなかったし、以前に主の死と復活の予告を何度も聞きながらも、まともに受け止めなかった。けれども、よみがえったイエス様が目の前に現れてやっと信じた。イエス様は彼らの不信仰で頑なな心をお責めになった。それは十字架だけでなく復活によって救いの道は完成するからだ。「もしキリストがよみがえらなかったら、あなたがたの信仰は空しく、あなたがたは今もなお自分の罪の中にある」復活は信仰の要である。今の私達は主の復活を見たわけではないが、みことばによって主の復活を信じている。「見ないで信じる人達は幸いです」信仰がある私達は不信仰に陥っていた頃の弟子達にまさる。
マリヤも2人の弟子も復活の主に会った後、すぐに11弟子に伝える証人となった。私達も主の復活を信じるならそれを伝える証人となる。さらにイエス様は私達を証人として遣わす所や人々を教えている。「全世界に出て行き、すべての造られた者に福音を宣べ伝えなさい」当時の全世界とはローマ帝国だから、弟子達はエルサレムからローマ帝国全域に伝える宣教のビジョンを持った。
その後のキリスト教の長い歴史の中で「全世界」はもっと広がった。今の私達にとって「全世界」とは文字通りの全世界であるとともに自分達が住む地域であり、「すべての造られた者」とは文字通りの全人類であるとともに自分が関係するすべての人々だ。周囲の人々に福音を伝えよう。
福音には必ず信仰が伴う。「信じてバプテスマを受ける者は救われます。しかし、信じない者は罪に定められます」強調点は信仰にある。福音を宣べ伝えるとは、それを信じなさいと勧め、励まし、説得することだ。初めから過度の圧力をかけることは控えるとしても是非信じてほしいという熱意をもって福音を伝えよう。イエス様は福音を宣べ伝えることには悪霊を追放したり病を癒したりなどのしるしが伴い、みことばはそういうしるしによって確かなものとされると語った。使徒の働きを読むと、確かにそういうことが起こった。神は全能だから今も、もし神がなさるならしるしは起こる。けれども今はあまり起こらない。どうしてか?今はみことばを通して福音をよく伝えることが出来るからだ。聖書のみことばを語ることによって主の復活の証人となる。それが私達だ。