マルコ15:16-32、8:34
“強いられた十字架の恵み” 内田耕治師
イエス様がいよいよ十字架につけられる頃、たくさんの兵士達が集まった。彼らはイエス様に紫の衣を着せ、茨の冠をかぶせてふざけた戴冠式を行い、くじ引きでその衣を山分けし、ローマに反抗するユダヤ人の王としてイエス様を“ざまあ見ろ”と嘲った。通りすがりの人達もわざわざ立ち止まって嘲った。祭司長達、律法学者達はイエス様を死刑にするだけでは満足できず嘲った。さらに十字架につけられてイエス様と同じ苦しみを受けていた強盗も嘲った。イエス様は、詩篇22篇「私は虫けらです。人間ではありません。人のそしりの的、民の蔑みの的です」の通りになった。
ほとんどの人達がイエス様を嘲り、蔑む中でたった1人だけ全然違う行動を取った人がいた。その人はイエス様がゴルゴタに向かう途中たまたま通りかかったクレネ人シモンである。彼はクレネという遠隔地から過越の祭りのためにわざわざエルサレムに来たユダヤ人だ。イエス様は連日の説教、夜の祈りと逮捕、真夜中の裁判、暴行、むち打ちなどで十字架を担げないほど肉体の疲れは極限に達していた。それで兵士はシモンに十字架を担がせた。思いやりではなくイエス様の歩みが遅くてイライラしたからだ。当時、兵士は道行く人を勝手に荷物を負わせたから、たまたま通りかかったシモンに十字架を負わせたのだ。
無理やり背負わされたシモンは頭に来たに違いない。彼は遠い外国からわざわざ祭りのためにやって来て、こんな所で余計なことをしていたら祭りに間に合わなくなるかもしれない。けれども兵士に強制されては従わざるを得ない。それで人々がイエス様を嘲りののしる中、彼だけは主イエスの十字架を負い黙々と歩いた。その時の彼には分からなかったが、そこに神の不思議なご計画と恵みがあった。彼はその後に主の導きで家族とともに福音を聞く機会が与えられ、彼が信じたかどうか定かではないが、彼の子供達は確実にキリストを信じて初代教会で用いられる人になった。
なぜなら彼の息子達アレクサンドロやルフォスに何も説明がないことは初代教会でよく知られていた証拠であり、ローマ16:13「主にあって選ばれた人ルフォス」は間違いなくキリスト者であることを表わすからだ。すなわち父シモンは何も分からず強制的にイエスの十字架を背負わされたけれども、それによって不思議に導かれ、息子達がキリストの僕となるという恵みを得られたのである。
ところで、今の私達はシモンと違ってキリストもみことばも知っているが、私達が自分の十字架を負って主に従う場合、シモンと同じようなあり方になる。私達が負うべき十字架はシモンと同様、思いがけない時に急に来てゆっくり考えることを許さない。それはもともと私達の願いや希望とは関係なく期待に反しているから計算ずくではなく主のみこころだと信じ、主のみ栄のために従うものだ。またキリスト者でも弟子でもなかったシモンはそもそも恵みなど分からなかったが、私達も先にどんな恵みがあるか分からない。だから私達はまだ見ていない恵みを信じながら自分の十字架を負わなくてはならない。
「だれでもわたしに従って来たければ、自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい」何でも自らの都合を優先したがる自分を主のために明け渡し、大きな恵みに期待して自分の十字架を負い、主に従おう。