使徒2:33、エペソ1:1-14

“あなたを救う三位一体の神”  内田耕治師

 

旧約聖書は、キリストも聖霊も出て来なくて神だけが主という名前で前面に出て、神は唯一を強調する。福音書になると、イエスキリストが現れ、神と神の御子キリストが前面に出て来る。使徒の働きになると聖霊が現われ、、神とキリストと聖霊が出揃う。使徒2:33「神の右に上げられたイエスが、約束された聖霊を御父から受けて、今あなたがたが目にし、耳にしている聖霊を注いでくださったのです」御父、御子キリスト、聖霊はバラバラではなくて3つで1つの三位一体の神だ。その目的は私達を救うことだ。それは神の恵みだ。その恵みは、御父、御子キリスト、聖霊のそれぞれから与えられ、それらが1つも欠けることなく全部が働いて私達の救いとなる。御父、御子、御霊の3つは私達を救うという目的のために1つになっている。

御父は世界の基が据えられる前から私達をキリストにあって選んで「あらかじめ」ご自身の子にするように定めていた。私達は救われた後にみことばを通して“自分が神に選ばれた”ことを知る。神の選びは隠されているから私達はだれが神に選ばれているか分からない。神の選びとは、救いが私達の行いにはまったく拠らないでただ神の恵みに拠ることを表す。そして救われた私達が教会に集められることも御国を受け継ぐことも「あらかじめ」とあるように神の選びによるものだ。だからそれらも神の恵みである。

御子イエスキリストは神の恵みを具体的な形に現わしてくださった。それが十字架である。キリストは私達の罪の身代わりとして十字架にかかり私達の罪の代価を支払われた。支払わなくてはならないのは私達なのにキリストが代わりに払って下さり、キリストの血によって私達はアダム以来続いて私達も持つ神への背きの罪を赦され、神との関係を回復した。それは恵みである。

聖霊は以上の神の恵みを私達に信じさせることによって確かにその恵みを受けられるようにした。私達は聖霊によらなければキリストを信じることができない。「救いの福音を聞いてそれを信じる」とは私達ではなく聖霊のみわざだ。そして信じたならば約束の聖霊によって証印を押される。証印とは何か?最終的に“これでOK”のサインである。最終的に聖霊のサインがあればその人は救われている。聖霊はさらに私達が御国を受け継ぐことの保証である。私達がやがてこの世での生涯を終えて御国の門の前に立つとき、聖霊を持っていれば御国に入れていただけるし、聖霊を持っていなければ御国に入れていただけない。

私達は御国の門の前に来た時、心底自信をもって“私は御国に入るにふさわしい者だ”と言えるだろうか?“様々な過ちを犯し、恥ずかしいことばかりだ”と言うのが現実ではないか。私達は心底自信をもって御国を受け継ぐことが出来ない者だ。けれども、そんな私達でも聖霊が与えられていることで確かに御国に入ることができる。聖霊は私達が御国を受け継ぐ保証だからである。それは神の恵みだ。三位一体の神は、私達を恵みによって救いへと導くのである。以上の三位一体の神の恵みを受けているから私達には“神はキリストによってどんな罪でも赦して下さる”というメッセージがあり、それによって人々を救いに導くことが出来る。