マタイ12:22-32、ヨハネ16:8

“あなたを救う御霊に逆らわないで”  内田耕治師

 

イエス様が悪霊に憑かれた人を悪霊から解放したことで群衆は驚き「この人がダビデの子ではないか」と言いだした。しかしパリサイ人はイエス様の評判が上がると妬んで「悪霊どものかしらベルゼブルによって悪霊を追い出した」とイエス様を悪霊呼ばわりして非難した。イエス様はそれに反論した。以下がパリサイ人に対する反論である。

悪霊どもを1つの国にたとえると、サタンがサタンを追い出して仲間割れしたらサタンの国は立ち行かない。だから悪霊によって悪霊を追い出すなどあり得ない。「あなたがたの子ら」とはユダヤの魔除け祈祷師。もし“わたしが悪霊によって悪霊を追い出ている”と言うなら魔除け祈祷師も同じであり、魔除け祈祷師を悪霊呼ばわりすることになる。そうなれば今度は魔除け祈祷師が“なぜ、私達を悪霊呼ばわりするのか”とあなたがた(パリサイ人)をさばくことになると皮肉る。

悪霊追放は神の御霊つまり聖霊の働きであり、それは神の国がすでに近くに来ている証拠である。「強い者」はサタン、「強い者を縛り上げる」はイエス様がサタンつまり悪霊を追い出したこと、「強い者の家にある家財」は悪霊に憑かれた人、「家財を奪い取る」は悪霊に憑かれた人を悪霊から解放すること。「わたしに味方しない者」も「わたしとともに集めない者」もサタン。神とサタンは敵対状態。だから“神の側にいるわたしがサタンによってサタンを追い出すなどあり得ない”

最後にイエス様を悪霊呼ばわりしたパリサイ人達への警告。イエス様が悪霊憑きを解放したことは聖霊のみわざなのに、それを悪霊のわざと言うことは聖霊を冒涜すること。聖霊を冒涜する者はこの世でも次に来る世でも赦されない。イエス様を悪霊呼ばわりしたパリサイ人に一見、裁きの宣告をしたかのようだが、イエス様は正反対の赦しも語る。「人の子に逆らうことばを口にする者でも赦される」聖霊の冒涜は赦されないがイエス様の冒涜は赦されるとは、一体どういうことか?

聖霊は人間に罪を示して悔い改めに導きイエス様を信じさせる。これは基本的な教え。だから、たとえ罪や冒涜を犯しイエス様に逆らう者でも、聖霊に導かれて悔い改めるならば、すべての罪は赦される。しかし最後まで聖霊の導きに逆らい続けて悔い改めないなら、罪の赦しはなく、この世でも次に来る世でもさばかれる。イエス様はさばきの警告を語りながら聖霊によって悔い改めることですべての罪は赦される良い知らせをそれとなく語ったのである。それはイエス様に逆らう者達をも包み込み、救おうとする神の寛容さを表す。その寛容さによってイエス様に激しく敵対したパウロは救われたし、教会の皆さんが寛容に受け入れ、祈ってくれたから厄介者の私達も救われた。そのようにして救われた私達は、出来得る限り寛容を心がけていろんな人達を受け入れ、救いに導こうとしている。ただし、その寛容さには“あなたを救う御霊に逆らわないで”というメッセージが込められている。「その方(御霊)が来ると、罪について、義について、さばきについて、世の誤りを明らかになさいます」あの人やこの人が御霊によって悔い改めに導かれることを祈ってやまない。