エレミヤ32:1-15、ローマ8:17

“神が与えた将来への希望”  内田耕治師

 

ゼデキヤの10年目、南ユダ王国の末期、来年は滅亡。ネブカデネツァルがバビロンの王になって18年目。バビロン軍はエルサレムを包囲。預言者エレミヤはユダの王宮にある監視の庭にいた。その理由は37章を参照。時系列では37章は32章の前。エレミヤはエルサレムを出てベニヤミンの地に行ったとき捕えられ迫害され、ヨナタンの家に監禁されたが、ゼデキヤ王がエレミヤを召し寄せた時、エレミヤは保護を求め、ゼデキヤが受け入れたからである。

ゼデキヤは偽預言者や民衆の大きい声に振り回されてバビロンに反旗を翻したが、自分にとって悪いことでも一応聞く耳がある人なので、どうしてエレミヤがバビロンに降伏し、捕囚を受け入れるなど不吉なことばかり預言するのか質問した。しかしエレミヤはその理由は一切言わないでその時、主から与えられたみことばを語った。それはアナトテの地にあるハナムエルの畑を買い戻すことだ。さらにその直後、ハナムエル自身が監視の庭にやって来てその畑の買い戻しをお願いした。その頃、ベニヤミンの地はバビロンの手に落ち、国全体も同じことになり、土地はイスラエル人の手から離れ、バビロンのものになろうとしていた。そんな時に土地を買うなど意味のないことなのに、エレミヤはハナムエルの土地を買い戻すことは神のご計画だと示されたので、その場で銀17シェケルを支払い、自分もその場にいた人々も証書に署名し、それを土の器に保存した。けれども、エレミヤはそうしながら心のうちに葛藤を覚えていたので主に祈った。すると、さらに主のみことばが与えられた。それは神に不可能なことはないから、剣と飢饉と疫病により滅んでしまう都は必ず復興できるし、奪われた土地は戻って来るし、人々の心は1つになり、祖国は以前にも増して繁栄することだった。だからエレミヤはこの時、土地取得の手続きをしたことはまさに神のご計画だと確信して宣べ伝え、それは先の見えない不安と恐れに覆われるイスラエル人の将来への希望となった。

ところで、神がエレミヤを通して示した将来への希望を通して、私達も私達に与えられた将来への希望を見ることができる。その希望とは私達がやがて神の国を相続できることだ。私達は神に背を向けた罪のゆえに本来、私達のために備えられた神の国から閉め出された者だ。けれども、キリストが私達の罪の身代わりとなって罪を取り除いて下さったので私達はキリストによって神の国を相続する者とされた。

「子どもであるなら、相続人でもあります。私たちはキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているのですから、神の相続人であり、キリストとともに共同相続人なのです」ローマ8:17

この世にあるうちは私達はいろいろ試練や苦難があり、相続すべき神の国も見えず、先の見えない現実に置かれている。それはバビロン軍に包囲されて風前の灯だったエルサレムにいたイスラエル人と同じようなことだ。けれども、私達には神の国を相続するという約束がある。それが私達の将来の希望である。