マタイ12:38-45

“あなたに何を語る、預言者ヨナと南の女王は”  内田耕治師

 

律法学者とパリサイ人がイエス様にメシアであるしるしを要求。しかしイエス様は「悪い、姦淫(かんいん)の時代はしるしを求めますが、しるしは与えられません」と「その時代」に問題があるとした。その時代の何が悪いのか?“預言者ヨナと南の女王”の話が教えている。

ヨナは主からニネべの都に行ってみことばを語れと命令を受けたが、それが嫌で主の御顔を避けて船に乗り反対方向のタルシシュに向かった。しかし、主の不思議な導きで結局ニネべに行き、「もう40日すると、ニネべは滅びる」と語ると、庶民から王に至るまで悔い改めた。イエス様は“ヨナの短いみことばでニネべの人々が悔い改めたからヨナに優(まさ)るわたしが語るみことばを聞いたら悔い改めて当然だ。それなのに悔い改めないあなたがたは罪に定められる”と語る。

南の女王はソロモンの知恵を聞くために地の果てから長い旅をしてエルサレムに来てソロモン王の前に立った。イエス様は“南の女王がそこまでしてソロモンの知恵を聞いたのだから、ソロモンに優るわたしが語るみことばを、あなたも謙遜に聞いて当然ではないか。それなのに聞こうとしないあなたがたは罪に定められる”と語った。ようするに、いくらイエス様が語っても悔い改めがなく、みことばを謙遜に聞かないことがユダヤ人の問題なのである。次のたとえ話はさらに詳しくその問題を説き明かす。

“出て行った汚れた霊が元いた家に自分よりも悪い7つの他の霊を連れて来て住みついた。なぜなら、そこは掃除されてキチンと片付いていたから”このたとえ話は行いによって自分を義とする律法主義を表す。彼らは言い伝えも儀式もキチンと守るが、それが高慢さを生み出し、彼らはそうしない人達をさばき、自分の間違いを認められず、他のやり方を受け入れられず、信仰によって得られる福音の恵みが分からないという問題を持つようになる。けれどもイエス様はそのような律法主義の問題を解決する糸口も語る。それが預言者ヨナと南の女王の話の中にある。「あと40日――」たったそれだけでニネべの人々が悔い改めたのは、ヨナの説教を聞く前から彼らは砕かれた心だったから。箴言21:2「人には自分の歩みがみなますっぐに見える。しかしーー」とか1コリント4:4「――だからといって、それで義と認められるわけではない。私をさばく方は主です」はその心とは何かを教えている。

その心はへりくだって聞く姿勢を生み出す。ニネべでは王から庶民に至るまで共有した危機意識がその姿勢を生み、南の女王は知恵を学ぼうとする熱意がその姿勢を生み出した。それらが律法主義という厄介な問題を解決する糸口である。ところで律法主義はイエス様の時代のユダヤ人だけでなく、今の私達にも蔓延る病である。気をつけていないと、いつのまにやら律法主義に陥り、高慢で頑なな心になり聞く姿勢がなくなる。だから私達にも砕かれた心とへりくだって聞く姿勢が大切だ。預言者ヨナと南の女王の話が語ることを学んでいこう。