ヨハネ21:15-19

“わたしの羊を飼いなさい”  内田耕治師

 

「いつまでも残るのは信仰と希望と愛、――その中で一番すぐれているのが愛です」信仰がなければ救われないから“キリストを信じなさい”と信仰を勧めるが、信仰があれば後は何も要らないのではない。愛が必要である。愛がなければ、宣教も家庭生活も社会生活も人間関係も上手く行かないからだ。イエス様はマタイとマルコで神を愛することと隣人を自分と同じように愛することを教えている。ヨハネでは「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」と教えている。

また神を愛することと隣人を愛することは別々のことではない。マタイ25章「これらの兄弟たち、それも最も小さい者たちの1人にしたことは、わたしにしたのです」助けを必要とする人を助けたら「わたしにした」つまり主を愛したことになる。目の前にいる人をいい加減に扱いながら“私は神を愛している”とは言えない。そのことを念頭に置いて考えるとイエス様がペテロに言ったことの意味がよく分かる。主はペテロに「わたしを愛していますか」と問い、ペテロは「私があなたを愛していることは、あなたがご存知です」と答えて主は彼の愛を確認し「わたしの羊を飼いなさい」と命じた。イエス様を愛するなら羊を愛することができる。神を愛することと人を愛することは互いに結びついている。

またイエス様は3回問いかけた。これは彼が主を3回否定して「鶏が二度鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言います」の通りになったペテロの苦い挫折から来ている。主はその挫折から彼を立ち上がらせ、宣教に向かわせるために三度、彼の愛を確認した。その中で注目すべきは三回目だ。その時ペテロはようやく自分が三度も挫折したことを念頭にイエス様が問いかけたことに気づき心を痛めたが「主よ、あなたはすべてをご存知です。あなたは、私があなたを愛していることを知っておられます」と答えた。

苦い挫折を指摘されても、彼はイエス様から顔を背けることはなかった。それは自分が完璧に愛されていることを知っていて主との間には揺るぎない愛の交わりがあったからである。もしその交わりがなかったら挫折を指摘されることで彼は心を閉ざし主から離れていたかもしれない。すなわち主との揺るぎない愛の交わりがペテロを羊を飼う者として彼は使徒達のリーダーとして大きく用いられたのである。

さらにイエス様はペテロの殉教をそれとなく予告した。「ほかの人があなたに帯をして、望まないところに連れてゆきます」殉教者はたたえられることが多いが、殉教よりも大事なことがある。1コリント13:3-4「たとえ私のからだを引き渡して誇ることになっても、愛がなければ、何の役にも立ちません」大事なことは愛であり、殉教は愛から来るものでなくてはならない。だから私達がまず大事にすべきことは主との揺るぎない愛の交わりである。もしその交わりが弱っていたらみことばと祈りによって強くしていただき、神との愛の交わりを隣人へと広げていこう。主は私達にも「わたしの羊を飼いなさい」と語っておられるから。