エレミヤ25:1-14、へブル11:13-16
“超大国も神のしもべ” 内田耕治師
預言者エレミヤはヨシヤ王の第13年に預言者として召されてヨシヤ、エホヤキム、ゼデキヤという3人の王の時代に預言活動をした。エレミヤは危機の時代の預言者である。南ユダ王国は、エホヤキム王の第3年からバビロン帝国の支配下に入った。その時、バビロンに差し出した人質にダニエルがいる。けれども、南王国はその後もバビロンに対して反抗的で最終的にゼデキヤ王の頃、バビロンに攻撃されてエルサレムが陥落し滅んだ。けれども、内実はイスラエル人自体が長い間に真の神から離れて偶像礼拝にふけり腐敗して弱体化していた所をバビロンにつけ込まれたのである。
だからエレミヤは1章から25章までイスラエル人が悔い改めて主に立ち返るために神のさばきを語り続けた。しかし人々は楽観論を語る偽預言者の言うことをむしろ聞き、エレミヤは迫害された。25章ではそのさばきをバビロンが神のしもべとして行うと語った。その通りにバビロンはエルサレムを陥落させ多くの人々を捕囚の民として連れて行き、南王国は滅亡した。けれどもバビロンは真の神を知らず偶像を拝む人々だから自分達が神のさばきを行ったという意識はなく、中東世界を統一し、世界の富や人材を強奪し、自分達の栄華を誇るためにそうしただけだ。
けれども、神のご計画では彼らがそうしたことは、腐敗しきった南王国を滅ぼしてイスラエル人を新しく生まれさせるためだった。だからエレミヤは「降伏する者は生き、自分のいのちを戦勝品として得る」と語った。イスラエル人を初めとして諸国民がバビロンに侵略されて支配される期間は70年である。“いつから、いつまでなのか?”始まりはエホヤキムの治世の第3年にネブカデネザル王がやってきてエホヤキムが跪き、バビロンの支配下に入った紀元前605年。終わりはバビロンがペルシャ王クロスによって滅ぼされた紀元前538年。差し引き66年。少し違うが70年は象徴的な数字である。
エレミヤはバビロンの勝利だけでなく、70年後のさばきと滅びまで預言した。彼らが行ってきたあきれるほどの破壊と略奪と残虐行為と高ぶりのツケが来たのである。一方、70年後はイスラエル人にとっては希望だった。バビロンでの捕囚の民としての生活は一応、必要は満たされていたが、約束の地から離れた生き方は彼らにとって本来のあり方ではないので70年後の解放が希望だった。短い期間ではないので祖国に帰還するのは次の世代、その次の世代であるが、それを希望として捕囚の民として生活をした。
その生き方は、私達に通じる所がある。彼らが希望とした約束の地は私達にとっては天の御国である。彼らがバビロンの人にならずに捕囚の民として暮らしたことは、私達が天の故郷に憧れながらこの地上では旅人、寄留者として暮らすことに通じる。またイスラエル人がバビロンで捕囚の民として生活する目的は、真の神に立ち返り、偶像から離れ、祖国の腐敗に影響された歪を少しずつ正すためであるが、それは罪のゆえに生じる私達の歪がキリストとともに歩むことによって少しずつ正されることに通じる。イスラエル人がバビロンで捕囚の民として生活したのは遥か昔であるが、私達は彼らの歩みに自分達を見ることができるのである。