エレミヤ31章
“私たちを救う新しい契約” 内田耕治師
15節「ラケルが泣いている。――子らがもういないからだ」バビロンに行く子供との今生の別れを嘆く母親にエレミヤは「あなたの子らは自分の土地に帰って来る」と語る。ただし29章の70年という具体的な年数は示さないが将来の希望と嘆きに対する報いを語っている。
18-22節は滅んだ北イスラエル王国を語る。1-14節も同じだ。この預言を聞く人々は南ユダの人達なのに、どうして北のことを語るのか?それは南の人達に北のことを思い出させてイスラエル全体を考えさせるためだ。「見よ、その時代が来る。――そのとき、わたしはイスラエルの家およびユダの家と新しい契約を結ぶ」31章は新しい時代が来ることを語っている。
新しい時代とは何か?昔イスラエル人はエジプトを出てから神から十戒を初めとする律法を与えられ古い契約が結ばれた。その律法は公正なものだったが、イスラエル人はその通りにしないで父の罪を子に負わせるような非公正なことをしていた。どの国でも昔は権力者の罪を民衆に負わせ、身分の高い人の罪を低い人に負わせという非公正なことをしていた。
けれども、新しい時代が来ると、新しい契約が結ばれる。古い契約の時代は、律法が与えられても心に書き記されていなかったから親の罪を子に負わせても平気、身分の高い人の罪を低い人に負わせても平気、権力者は平気で自分の罪の責任を民衆に負わせた。けれども、新しい契約によって律法が心に書き記されると何が悪いことなのか分かるようになり正しい歩みを心がけるようになる。また実際に何かに悪いことをしなくても、心に悪い思いを抱いたときに心に書き記された律法によってさばかれて人は罪の意識を持つようになる。ローマ7章は罪の意識を次のように語る。
「律法がなければ、罪は死んだものです。私はかつて律法なしに生きていましたが、戒めが来たとき、罪は生き、私は死にました。それで、いのちに導くはずの戒めが、死に導くものであると分かりました。」ローマ7:7-10
また新しい契約を結ぶと、人は罪を意識するだけでなく罪の赦しを得るようになる。31章にはキリストのことは何も書いてないが「わたしが彼らの不義を赦し、もはや彼らの罪を思い起こさない」はキリストの血による罪の赦し以外に考えられない。だから「新しい契約」とか「主を知る」とはキリストを信じて救われることを表す。この預言は紀元前の時代に書かれながら、実は現代の私達がキリストを信じて罪の赦しを受け救われることを表している。
さらに新しい契約は神の国の完成も表す。現在「“主を知れ”と言って教えることはない」などと、とても言えない。言えるのは救われる人々の数が満ちて神の国が完成した時だけだ。だから、この預言はまだぼんやりだが世の終わりに完成した神の国の姿を示している。キリストを信じた私達は世の終わりの神の国の完成を目指して歩んでいる。「彼らがみな、身分の低い者から高い者まで、わたしを知るようになる」神の国が完成した姿を目指して福音を伝えていこう。