1コリント15:1-11

“キリストの復活を証する証人”  内田耕治師

 

「あなたがたに宣べ伝えた福音を改めて知らせます」何を改めて知らせるのか? まずキリストが私達の罪のために死なれたことだ。私達もよくそのように言っている。でも、それだけでは十分ではない。さらにキリストは死んで3日目によみがえられたと復活まで語れば福音を十分に説明したことになる。死んだ人が生き返ることは“まさか”という常識に反することだ。けれども、主の復活がなければ私達は救われない。私達は死んだ後、2000年前に復活した主と同じように世の終わりに復活して天国に入る。だから主は復活することによって私達がやがて復活して天国に入るための道筋をつけてくださった。ところで使徒達が主の復活を宣べ伝えるとき“まさか”と思う人々に主の復活を信じさせるために証人達の証言が鍵となった。

1人ではなく2人3人の証人の存在で事実とされる基準があったが、主の復活の証人はケファから始まる12弟子、500人以上の兄弟達で生き残っている人達、ヤコブそしてパウロとその基準よりも遥かにたくさんいた。けれども福音書で復活の主に最初に出会った女性達の名前がない。なぜか?2000年前は完璧に男性中心の時代だからだ。でも、そんな時代で女性達を記す福音書は進歩的だ。

ところで、これらの証人達は復活の主との出会いによって人生が大きく変わり主に用いられた。ペテロを始めとする12弟子はもとは漁師や取税人だったが、主の復活の証人として福音を伝える者となり大いに用いられた。500人以上の兄弟達は、自分達が昔、出会った復活の主についてパウロに話すことで証人として用いられた。

ヤコブは弟子ではなく主の兄弟である。兄弟達は初め母とともにイエス様のすることを止めさせようとしたが、そのうちに兄のすることに関心を持ち、ヨハネ7章では協力的になり、兄の復活を見て兄をキリストと信じ、ペンテコステの前、弟子達とともに聖霊降臨のために祈った。彼らの中でヤコブはやがて初代教会の重要な人物の1人となり、ヤコブの手紙を書いた。

パウロはまだサウロという名前だったとき、ダマスコに行く途中、天から「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」とか「わたしはあなたが迫害しているイエスせある」という主の声を聞いて人生が変わった。「月足らずで生まれた者」彼は12弟子のように主と生活を共にすることはなかったし、キリストに敵対し、教会を迫害する者だったが神の恵みにより偉大な働きができた。

ところで、今の私達は自分の目で復活の主を見てはいないが、みことばによって主の死と復活を信じている。パウロのように主のみ声を直接聞く霊的な体験はないが、みことばを通して主のみ声を聞いている。だから12弟子が大きく用いられたように、足りない所だらけの私達も福音のために用いられる。無関心だった兄弟のヤコブやキリストに敵対したパウロが大きく用いられたように神に背を向けていた私達も用いられる。神の恵みが豊かにあるからだ。私達の罪のために死んで復活されたイエスキリストを信じている素晴らしさを改めて覚えていこう。