マタイ28:16-20、ヨハネ3:3-7

父、子、聖霊の名によるバプテスマ  内田耕治師

 

大宣教命令は、聖霊降臨後、弟子達を宣教に遣わすために語られたものだ。その宣教とはイエス様の権威によって遣わされ、あらゆる国の人々を目指し、信じた人達を弟子とするためにまずバプテスマを授けるものだ。ヨハネのバプテスマの意味は悔い改めだったが、イエス様のバプテスマの意味は新しく生まれることだ。けれども、主はそれを父、子、聖霊の名によるバプテスマと言う。

実質的に同じことだが、そこには新しく生まれることを父、子、聖霊のそれぞれがその役割を果たして出来たみわざとして見る視点がある。

まず父の役割は何か?人類最初の人間が神の命令に背いて罪ある者となり、人類はその罪を受け継いでいるので人間である以上、だれでも神の前には罪ある存在だ。人間はその罪を自分ではどうすることもできず、このまま行くと滅びてしまう。けれども、父はそういう人間を見捨てないでその罪から救い出そうとする愛を持つ。ルカ15章の放蕩息子のたとえ話で父と共にいるのが嫌で遠い国に行き、荒れた生活をして落ちぶれた息子を待ち続け、彼が帰ったとき、責めることなく大歓迎したことは父の愛を表している。その愛があるから人間は罪から救われることができる。

子の役割とは何か?まず父の愛を十字架にかかることで示したことである。「神は、実にそのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が1人として滅びることなく」

また御子の十字架そのものが、私達が新しく生まれることを示している。御子は死んだだけでなく復活した。バプテスマは御子の死と復活を霊的に表している。バプテスマを受けるとはキリストの死にあずかること、つまり本当に死ぬわけではないが、キリストの死と同じようになることであり、

キリストとともに葬られるとは、キリストが死者の中からよみがえられたように私たちが新しいいのちに歩むことであり、キリストの復活と同じようになり、神に対して生きることである。

聖霊の役割とは何か?私達が死んでよみがえった御子を信じて新しく生まれるためにはなお後1つのことが必要だ。それは聖霊だ。みことばとともに聖霊によって主を信じることができるからだ。だから父は子を通して聖霊を遣わした。イエス様とニコデモの対話は聖霊の必要性を教えてくれる。「人は新しく生まれなければ神の国を見ることはできません」ニコデモは初め誤解したが、その後の「水と御霊によって生まれなければ」「御霊によって生まれた者は霊です」は聖霊によって人は実際に新しく生まれ天国に入ることを教えてくれる。以上のように父、子、聖霊がそれぞれの役割を果たすことによって人間は新しく生まれて主の弟子となることができる。

ところで父、子、聖霊はその後、三位一体と名付けられてキリスト教の背骨のような大切な教理になった。三位一体を認める群れは正統であり認めない群れは異端だ。三位一体は理屈だけで考えると難解でキリスト者でも三位一体を適切に説明できる人は案外少ない。けれども新しく生まれさせるために父、子、聖霊のそれぞれが果たした役割をよく考えたら、三位一体を理解する1つの助けになり、上手く説明できるようになる。聖書の教えを部分的に詳しく知るだけでなく、父、子、聖霊のそれぞれが役割を果たして出来る神のみわざの全体を見るように心がけよう。