エレミヤ40:7-41:2、2コリント12:9

 “お人好しにキリストの姿が”  内田耕治師

 

エルサレムの陥落後、バビロンの王はゲダルヤを総督にしてユダの地と残された人々を任せた。ゲダルヤはエレミヤのビジョンを受け継いでバビロンの支配下にあることを受け入れ、バビロンと良い関係を持ちながら廃墟になった国の再建を目指した。「ゲダルヤは、彼らとその部下たちに誓った。カルデア人に仕えることを恐れてはならない。この地に住んで、バビロンの王に仕えなさい。そうすれば、あなたがたは幸せになる。」国は滅んだが、まだ抵抗する人達をゲダルヤは説得。「この私は、見よ、ミツパに住んで、私たちのところに来るカルデア人の前に立とう」彼は、命がけでバビロンとの間に平和を築き上げて残されたものみんなで国を再建しようとした。それで散らされていた人々は彼の言うことを聞いてユダの地に帰ってきた。

人々にはバビロンに対する不信感があり一致や信頼はなかった。けれども、彼にはみんなを1つにして互いの信頼を築き上げ、ワン・チームで再建に取り組む強い思いがあり、積極的に人々を信頼しようとした。けれども、その信頼が裏切られた。アンモン人の王バアリスはゲダルヤを暗殺する陰謀を企み、自分と深くつながるイシュマエルに行わせようとした。その陰謀を事前に察知したヨハナンは先手を打ってイシュマエルを殺すことをゲダルヤに提案したが、彼は「そんなことをしてはならない、あなたこそイシュマエルについて偽りを語っている」とその提案を拒否。イシュマエルも含めてみんなで一丸となって国を復興するビジョンを大切にした。けれども、その後イシュマエルを食事に招いたとき、その信頼は裏切られ無防備のゲダルヤは暗殺された。

この世的な見方をすれば、疑いがある人を信じたゲダルヤはお人好しとの批判がある。けれども、もし先手を打ってイシュマエルを殺し、彼が生き残ったらどうか?疑いのある者は早いうちに始末するのがいいことになり、信頼関係は生まれずワン・チームで国を再建するビジョンは壊れる。彼は殺されることでそのビジョンを生き残らせた。彼の死後、ずいぶん時間がかかったが、そのビジョンはついに実現し、新しいイスラエルは築かれた。ところで今、私達が信仰によって属している神の国もある方が殺されたことで築かれた。そのお方とはイエスキリストだ。「家を建てる者たちが捨てた石、それが要の石となった。これは主がなさったこと。」同じようにゲダルヤも捨てられた石だ。だから、お人好しのゲダルヤにむしろキリストの姿を垣間見ることができる。

この世的には彼は警告を受けたのに騙された無能な指導者だ。けれども、神は違った見方をする。お人好しで騙されやすくても尊いビジョンを真っ直ぐに語り、たとえリスクはあるとしてもそのビジョンを大切にする人を神は喜ぶ。ゲダルヤの存在は私達に世界や人生をどう見るかを教えてくれる。正直言って、私達は信仰的なことを言いながら、心に内にはこの世で上手くやって成功する人達をあこがれる思いもある。けれども聖書はお人好しのゲダルヤを見なさいと語りかける。ゲダルヤには、私達と同じような弱さがあった。でも、その弱さがあったからこそキリストの姿を現すことができた。「わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからであると言われました。ですから私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。」

この世的には弱さでも神の目にはそうではないことを知れば、自分の弱さを殊更責める必要はないのでは。