エレミヤ26:1-6、36:1-8、45:1-5

ヤコブ4:15

”戦勝品はあなたのいのち“  内田耕治師

https://youtu.be/v7NicAU5F08

 

26章でヨシヤ王が死にエホヤキムが王になった時、エレミヤは主に命じられて主の宮の庭で神のさばきを語って要注意人物とされた。同じメッセージを語ったウリヤは王に殺された。王はエレミヤの命も狙ったが、主に守られた。でも、公の活動ができなくなった。4年後の36章で主はエレミヤにヨシヤの時代からエホヤキム王の第4年の時まで主が与えたみことばを全部書き記せと命令。エレミヤが口述し、書記バルクがそれを書き記して巻物を作った。

さらにエレミヤは外に出られなかったのでバルクに主の宮で巻物の朗読することを命じ、バルクは進んで従い、主の宮で朗読した。巻物への関心はミカヤから首長達、首長達から王へと広がったが、王はその内容に激怒し巻物を燃やし、エレミヤとバルクの逮捕を命じたが、主は彼らを守った。主は再び巻物を作れと命じて彼らは口述筆記で新しい巻物を作った。バルクはエレミヤに仕え、その働きに協力することによってエレミヤと同じ迫害を受けるようになった。

45章はエレミヤがバルクに語ったこと。「ああ、私はわざわいだ。主は私の痛みに悲しみを加えられた。私は嘆きで疲れ果て、憩いを見出せない」迫害で疲れ切ったバルクの思い。「わたしは自分が建てたものを自分で壊し、わたしが植えたものを自分で引き抜く」神のさばきで神殿が破壊され、エルサレムが陥落し、国が滅び、人々は捕囚の身となること。神のさばきはイスラエル人の罪を徹底的にさばいて新しく造り変えることだった。けれども、疲れ切ったバルクには「あなたが行くどこででも、あなたの命を戦勝品としてあなたに与える」と主の導きと守りを約束した。

「あなたは、自分のために大きなことを求めるのか。求めるな」これは何のことか?バルクはエレミヤに仕えてこれまで経験したことがない命がけの奉仕をした。人間は命がけで奉仕をすると、“こんなに頑張ったんだから”とそれ相応の見返りを求めるようになる。バルクの場合を想像すると、大きな悔い改めが起こり、神のさばきはなくなり、国に平和と繁栄が訪れ、命がけで働いた自分は栄誉を受けて高い地位に就くことを期待しただろう。だが、それは主のご計画ではなく彼の願望だ。

人間は神のみこころを求めるとともに自分の願望の実現も求める。自分の願望はだれにもあり、悪いことではないが、ある願望が過大になることで神のみこころの実現を妨げることがある。だからイエス様は「あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」とペテロを戒めた。同じようにエレミヤも「自分のために大きなことを求めるな」とバルクを戒めた。もしかするとエレミヤも同じ問題を抱えていてバルクに言うことで自分に言い聞かせたのかもしれない。

「主のみこころであれば、このことを、あるいは、あのことをしようと言うべきです」自分の願望とは異なることでも、時が来たら速やかに神のみこころを行うことを教えている。私達はそのために選ばれてイエス様を信じている。そのためにみことばを学んでいる。そのために祈っている。とかく自分の願望ばかりを進める傾向があることは私達の弱さだが、示されたら神のみこころを行う機会を失うことなく、速やかにそれを行えるように自分を整えて行こうではないか。