ダニエル1章、マタイ7:14、ヤコブ4:17
“今年、あなたにとって大切なこと” 内田耕治師
中東の諸国を制覇したバビロン帝国は自国を建て上げるため人材を集めていた。南王国からも最初の捕囚民がバビロンに連れて行かれたが、その中に当時15歳位のダニエルと3人の友達がいた。彼らは3年間バビロンの言葉や文学や学問を学んでからネブカドネツァル王の家来になる予定だった。
彼らは名前を変えられ、バビロン流の生活を強いられた。このままバビロンの社会に適応していくと、バビロンの偶像社会に飲み込まれて真の神への信仰がうやむやになる恐れがあると危機感を持ったが、そんな時に食べ物の問題が起こった。研修中の彼らには王が食べる豪華な食べ物が割り当てられたが、それはバビロンの習慣によって肉はまず偶像に献げられた後で調理して出された。その料理を食べることは偶像礼拝に関わる。唯一まことの神を信じる彼らにとって不本意なことだ。
急に偶像社会に放り込まれて自分達のアイデンティティーを必死に守ろうとした彼らは「王の食べ物で身を汚したくない」と一途に思い、自分達の世話をする宦官の長に王の食べ物を食べることはできないと言う決意をあした。最初、拒否されたが、王の食べ物とは違うものを食べて彼らが他の少年達よりも顔色がすぐれないのを王が見て激怒することを宦官の長が恐れただけで王の食べ物を拒否することを王に対する反抗と見なさないことが分かり、次に彼らは世話役に「野菜と水」だけで10日間試してほしいと申し出て了解を得た。結果は、王の食べ物を食べる少年達よりも彼らは顔色が良く、体つきも良かったので希望通りに野菜食に変えてもらい、偶像礼拝に関係する王の食べ物を避けることができた。これは神の恵みであるが、彼らの信仰による決意がその恵みを開いた。
信仰による決意の大切さは聖書によく出て来る。「狭い門から入りなさい。――」イエス様を信じることは「狭い門」から入ることであり、その門をくぐれば、いのちが与えられ祝福があることが分かる。けれども、分かるだけでなく、もう1つ必要だ。それは狭い門をくぐる決意をすることだ。「人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです」心で信じることだけでなく口で告白することが必要だ。“イエス様を信じる”の一言が言えなければ救われない。「こういうわけで、なすべき良いことを知っていながら行わないなら、それはその人の罪です」心では“これは良い、正しい”と思いながら行う決意ができないなら、それはその人の罪になる。ダニエル達でも、もし心では思いながら宦官の長に言うべきことを言う決意ができなかったとしたら、それは彼らにとって罪になった。けれども彼らは言えたから良かった。
神は心になすべき良いことや正しいことを知っている人が、黙っていないで言葉に出し、行動することを待っている。神は、私達を完璧に操れるロボットにはせず、1人1人に自由意志を与えている。神は、みこころを行うために弱さを抱える私達を選んだ。私達はその自由意志によって神のみこころから逃げることもできる。けれども、神は弱さを抱える私達が勇気を出して神のみこころを行うことを待っている。ダニエル達にとって偶像社会のバビロンは楽に神のみこころを行える所ではなかったが、彼らは多少の困難を乗り越えて神のみこころを行った。今の私達にとってもこの世は楽に神のみこころを行える所ではない。この世はしばしば妨げとなる。だが聖書は「この世と調子を合わせてはいけません」と言う。この世の妨げを振り切って神のみこころを行おう。