ダニエル4章、1ペテロ1:7 

“主は、根株だけを残し木を切り倒す”  内田耕治師

https://youtu.be/6hmhawCQBU0

ネブカドネツァル王は2章や3章の出来事を通して神の前にへりくだったが、偉大なバビロン帝国を造ったのは自分だという高慢さが神だけを崇める信仰を妨げ、偶像の神々も大事にする多神教的な信仰から抜け出せず、王の驕りや贅沢のゆえに統治の問題を抱えていた。だから神は王が変えられるようにお取り扱いされた。「私ネブカドネツァル」4章は神のお取り扱いを受けて変えられた王の証しだが、バビロンの人々に公に発布された。神のお取り扱いは王が夢を見たことから始まった。その夢とは、多くの獣や鳥を養っていた「高い木」を天から降った「見張りの者」が根株だけ土に残して切り倒したことだ。バビロンの知者達はそれを解き明かせなかったのでダニエルが呼ばれた。彼はその夢を聞くとすぐに意味が分かったが、それは王にとって厳しいことだったから話すことをためらった。けれども、せがむ王に押し出されてダニエルは「この夢があなたを憎む者や、あなたの敵に当てはまりますように」と矛盾したことを言いながら遠慮がちに話し出した。

「その木とはあなたです」高い木はネブカドネツァル王である。「見張りの者」が“その木を切り倒す”とは、王は気が変になり理性が失われ人間の世界から出て野の獣のようになり王位から離れることだ。「木の根株が残る」王は王位から完全に離れるのではなく、高慢さが砕かれて神の前にへりくだるなら再び国の支配を任されることだ。「それゆえ、王よ、私の勧告を快く受け入れて、正しい行いによってあなたの罪を除き、また貧しい者をあわれんで、あなたの咎を除いてください。」王に仕える者としてダニエルは王の驕りや贅沢から来る不正や腐敗、貧しい人々に対する抑圧など国の問題を熟知していたのでこの際、具体的ではないが警告した。それから12ケ月後に解き明かした通りのことが王に起こった。しかも王が「この大バビロンは、王の家とするために、また、私の威光を輝かすために、私の権力によって建てたものではないか」と自分を誇った途端にである。王は獣のようになり、人間の世界から出て行った。けれども、しばらくして理性が戻り、王位に復帰した。「今、私ネブカドネツァルは、天の王を賛美し、あがめ、ほめたたえる。そのみわざはことごとく真実であり、その道は正義である。また、高ぶって歩む者をへりくだらせることのできる方である」と、へりくだってまことの神をほめたたえた。

私達もネブカドネツァルのように“根株を残して木を切り倒される”神のお取り扱いを受ける。私達もキリストを信じて救われたにもかかわらず、神やキリストよりも自分を誇り、神のみこころから離れてしまうことがある。キリストを信じているにもかかわらず、この世と調子を合わせてキリストに従わないことがある。だから神は、そんな私達がもっとキリストに従い、もっと神のみこころを行えるように私達の木も切り倒す。「試練で試されたあなたがたの信仰は、火で精錬されてもなお朽ちていく金よりも高価であり、イエスキリストが現れるとき、称賛と栄光と誉れをもたらします」試練で苦しめられたとしても神は私達を見捨てたのではない。私達はキリストを信じて救われただけで何もできなくても神の目には金のように尊い存在だ。自分の弱さばかりを感じたとしても卑下する必要はない。けれども神は私達を金よりもさらに高価な存在とするために私達に試練を与えるだから大事なことはジタバタしないで主の導きを信じて耐えることだ。神は私達が耐えられる程度の試練を与えるから主に任せて従えば、やがて光が見えてくるはずだ。