礼拝説教要旨・2025年日・黙示録3:1-6

“死にかけている残りの者たちを力づけなさい”

ペンテコステ以来初期教会姿学んできたが、それと黙示録教会比べると落差ある。黙示録の教会初期教会の間には50位の間隔があり、世代交代がなされ初めの頃にはなかった異端迫害問題出て来て、教会守りの姿勢になってきたこれまで話したエペソやスミルナやペルガモンやティアティラに異端や迫害の記述がありそういう問題戦う教会誉め労う言葉が見られただが、サルには異端迫害問題なくそういう言葉がない。その代わりに初めから「わたしはあなたの行いを知っている。あなたは、生きているとは名ばかりで、実は死んでいる」と酷評サルディス彼らの信仰自体が危機的な状況だったようだ。でも「死んでいる「目を覚まし、死にかけている残りの者たちを力づけなさい。言う死体に向かって瀕死の人を力づけだから死んでいる酷評された人達まだわずかだ信仰の火が残る人達だと考えられ

そう考えると主は信仰の火が消えかかっている人達をも見捨てないで期待し期待するからこそ「あなたの行いが、神の御前で完了したとは見ていない」と言うことが分かる「死んでいる」と「死にかけている人達」は同じ両方とも信仰の火が消えかかっている人達つまり主は信仰の火が消えかかっている人達どうしで互いに励まし合い、互いに信仰の火を再び燃え立たせるようにしなさいと命じそれは使命であり、それを果たさないことは怠慢戒めるこれは一見厳しいが、理にかなっている。もし信仰の火が盛んに燃える人が、その火が消えかかっている人を力づけようとしたら、そのを見下したり高い所から圧力をかけ劣等感反発招くだからどのように受け、聞いたのか思い起こし、それを守り、悔い改めなさい」勧める。勧め力づけようとする人にも力づけられるにも有益この通りにすば、信仰が回復し、霊的に生き返る主はさらに彼らが速やかに目を覚まして命じたことをするために再臨もほのめかした。「目を覚まさないなら、わたしは盗人のように来る。わたしがいつあなたのところに来るか、あなたには決して分からない

さらに主は信仰の火が消えかかっている人達その火を燃え立たせ、確かな信仰になるためにある目標を与えサルディスには、わずかだが、その衣を汚さなかった者たちがいる。彼らは白い衣を着て、わたしとともに歩むサルディスにはわずかが、汚されることなく主とともに歩む人達がいその人達はサルディスの希望であり、信仰の火が消えかかっている人が目指すべき目標ったその人達はどんな人達か特別選ばれた人達ではない普通の人達だ。勝利得るは、このように白い着せられるこの勝利主が十字架みわざで勝利して私達与えて下さるものであり私達努力結果ではない必要なのは信仰だけだ。白い着るとはキリストよって赦し得て認められることだ。この白いすでに信仰よって与えられたものだが、忘れている人達案外いる。サルにはそういう人達多かったでも、忘れている白い思い出して着れば信仰生き返るだから「どのように受け聞いたかを思い起こしそれを守り悔い改めなさい勧める白い忘れる恐れは、私達にもあるのではないだろうか。