礼拝説教の要旨・2025年6月1日・黙示録2:18―29
“キリストは人の思いと心を探るお方”
キリストはティアティラの教会を「あなたの愛と信仰と奉仕と忍耐を知っている。また、初めの行いにまさる近頃の行いも知っている」とずいぶん誉めている。だが、何が良いのか?具体的なものが書いてない。次を見ると「あなたには責めるべきことがある」から始めてティアティラ教会が抱えていた難しい問題を書いている。「あなたは、あの女、イゼベルをなすがままにさせている。この女は、預言者だと自称しているが、わたしのしもべたちを教えて惑わし、淫らなことを行わせ、偶像に献げた物を食べさせている。」イゼベルとは列王記第一に出て来るイスラエルの王アハブの妻。彼女はシドンの出身でバール礼拝をもたらした悪女。預言者エリヤはバール礼拝と熾烈な戦いをした。ティアティラのイゼベルはそれから来ている。その名はあまりにも衝撃的なので初めの誉め言葉はクッションかもしれない。
彼女はティアティラの人々を惑わして淫らなことを行わせた。それは性的な問題ではなく信仰的な問題。「偶像に献げた物」Ⅰコリント8章では、基本的に偶像に献げた物を食べてもいいし食べなくてもいいが、つまずきになるならパウロは食べないと言ったが、この偽預言者は偶像に献げた物を食べさせることで人々を密かに偶像礼拝に導こうとしていた。だが、ティアティラの人達は何もしないで彼女を受け入れていた。だからキリストは彼女に悔い改める機会を与えた。でも、彼女は悔い改めないし、淫らな行いを止めない。それでキリストは思い切った処置を予告した。「わたしはこの女を病の床に投げ込む」突然、彼女は病で寝込み、異端の活動が出来ない。「この女と姦淫を行う者達」は悔い改めて彼女の教えを捨てなければ大きな患難に投げ込まれる。「この女の子供達」とは彼女を通して信仰に導かれた人達。初めから異端的な教えを真理だと教え込まれた気の毒な人達だが、キリストは彼らを「死病で殺す」異端的な教えに影響された人達は、悔い改めてその教えを取り除けば受け入れられるが、取り除くことができないほどその教えに染まった人達は排除される。
一方、異端的な教えに影響されなかった人達には期待を寄せ、ある役割を与える。「サタンの深みを知らない」とは異端的な教えに毒されておらず、聖書の霊的真理と真理で正しいことだとキチンと認識していること。「持っているもの」とは聖書が教える霊的な真理。
「わたしが行くまで」とはキリストの再臨の時まで。「しっかり保ちなさい」とキリストを信じ、聖書の霊的真理を守ること。これはあらゆる時代のあらゆる教会に課せられた役割だ。いつの時代でもどこでも、聖書の霊的真理は攻撃を受けている。この世の異端的な教えやこの世の哲学や思想やこの世の風潮が、聖書の霊的真理を覆い隠したり曲げたりする。そんな中で教会やキリスト者は霊的真理を保つ役割がある。その役割のためにある権威が与えられている。「諸国の民を支配する権威を与える」初めに神の子であるキリストは、神から諸国の民を支配する権威が与えられたが、キリストを信じる私達は、キリストから同じ権威が与えられている。ただし「最後までわたしのわざを守る者」の条件がある。それはキリスト信仰だ。キリストを信じて救われた私達は救いを与えた霊的真理を守る役割がある。そのためにさばきを行う権威もある。神にずいぶん期待されている。だから神の期待に応えよう。
