礼拝説教の要旨・2025年6月8日・使徒2:14-36
“イースターから五十日目の聖霊降臨”
主の約束通りに、五旬節の日に弟子達に天から聖霊が注がれ、彼らは御霊に満たされ、いろんな国の言葉で話し出した。その時、エルサレムにいろんな国から人々が祭りのために集まっていた。彼らは自分達が住む国の言葉で神の偉大なみわざを話し出すのを聞いてビックリし嬉しくなった。でも、「彼らは新しいぶどう酒に酔っている」と嘲る人達もいた。言葉の意味が分からない人達がそう言ったにだろう。でも、この出来事は人々の注目を集め、たくさんの人達が集まり、福音を伝える絶好の機会となったのでペテロは話し出した。まずその時、起こっていたことはヨエル書の預言の成就だと語った。その預言には聖霊降臨と主の再臨が描かれているが、焦点は聖霊降臨である。
聖霊降臨の背後にはキリストの十字架の死と復活と昇天が存在する。それらがなければ聖霊降臨もない。だからペテロはキリストの死と復活と昇天を念入りに語る。キリストの十字架の死は50日前という最近、起こったこと。エルサレムの人達が大いに関与した。人々は自分達の罪を示されただろう。だが、ペテロは彼らの罪を責めるためではなく復活という凄い神のみわざを語るために十字架を語った。「しかし神は、イエスを死の苦しみから解き放って、よみがえらせました。この方が死につながれていることなど、あり得なかったからです」
次に復活も旧約聖書の預言の成就だと語る。ユダヤ人がよく知っていた詩篇16篇の「あなたは、私のたましいをよみに捨て置かず、あなたにある敬虔な者に滅びをお見せにならないからです」イエス様の復活は詩篇16篇の預言の成就だ。ペテロはまた復活したイエス様は、ダビデの子孫として現れる救い主だと語った。「ダビデは預言者でしたから、自分の子孫の1人を自分の王座に就かせると、神が誓われたことを知っていました」
ペテロはキリストの昇天についても詩篇110篇を用いて語った。「主は、私の主に言われた。あなたは、わたしの右の座に着いていなさい。」イエス様は昇天して神の右の座に着かれた。では、天でイエス様は何をしているのか?
十字架の死と復活という大仕事を終えて休んでいたのではない。イエス様は天から地に住む人々に聖霊を注いでおられる。「ですから、神の右に上げられたイエスが、約束された聖霊を御父から受けて、今あなたがたが目にし、耳にしている聖霊を注いでくださったのです。」
キリストの死と復活そして昇天の後には聖霊降臨がある。聖霊降臨は砂漠に井戸を掘って水が出て来たことにたとえることができる。砂漠は、少し掘れば水が出て来るような潤った土地ではなく、かなり掘ってもなかなか水の出ない所。掘る人は相当の困難を強いられる。だが、困難だとしても水が出たらその水は死んだ砂漠を生き返らせる。人間はだれでも罪のゆえに砂漠のように霊的に死んでいる。だが、そんな私達をよみがえらせるために天にいるイエス様は聖霊を受けて私達に注いでくださる。でも、そのためにイエス様は砂漠に井戸を掘る人の困難以上に死んでよみ(陰府)に降ることを経て天に引き上げられた。イエス様の死も復活も昇天も神の右の座に着くこともすべて必要、1つでも欠けたらイエス様は天から聖霊を注ぐことは出来ない。ペンテコステの今日、以上の神のみわざを覚えていこう。
