礼拝説教の要旨・2025年7月27日・黙示録4:1-11
“主は、この後、必ず起こることを示される”
黙示録は1章から3章までが7つの教会へのみことば。4章からは預言。未来の時刻表として読まれやすいが、それだけではなく当時や現代の教会に向けられた教えでもある。少し読んだだけでは一見急に話が変わって別世界のような印象を受けるが、よく読むと1-3章につながる。1章でヨハネは主の日に御霊に捕らえられ、ラッパのような大きな声を聞き、7つの教会に宛てたみことばを書いて送ったが、4章になると再びラッパのような大きな声を聞く。「ここに上れ。この後、必ず起こることを、あなたに示そう」天の門への招きである。それでヨハネが天の門に入ると、天国の様子が見えて来る。天には御座があり、そこにいるのは父なる神だ。父なる神が座る御座の周りには24の座があり、そこには24人の長老達がいる。聖書では神は御使い達とともにいることが多い。多神教的な日本なら神の周りに神々がいるように描くだろう。だが、黙示録では人間である長老達が神の周りにいる。
長老達は白い衣をまとい、頭に金の冠をかぶる。3:18で主はラオディキアの霊的に堕落したキリスト者達に「豊かな者となるために火で精錬された金を買いなさいとか、裸に恥をあらわにしないために着る白い衣を買いなさい」と忠告。長老達とは私達キリスト者を表す。
7つの教会は偶像礼拝の誘惑、異端の惑わし、迫害、そして霊的堕落という様々な問題を抱えて歩んでいた。どうすれば様々な問題を乗り越えていけるか?そのための指示を1-3章で少し語ったが、4章では何も語らない。その代わりにもっと基本的なことを語る。それはまことの神に礼拝をささげることだ。それを24人の長老達を通して示す。「24人の長老達は、御座に着いておられる方の前にひれ伏して、世々限りなく生きておられる方を礼拝した」当時のキリスト者達は旧約聖書のエゼキエル書をよく読んで知っていたから主はエゼキエルのささげた礼拝を例に上げて神を礼拝することを教えた。「御霊」「虹」「水晶」はエゼキエル書から来ているが、礼拝への導きを表す。獅子、雄牛、人間、鷲をかたどり目で満ちた4つの生き物は昼も夜も休みなく「聖なる、聖なる、聖なる、主なる神、全能者。昔おられ、今もおられ、やがて来られる方」と永遠の神に礼拝をささげている。
4つの生き物と同じように24人の長老達も永遠に生きておられる神を礼拝する。彼らは自分達の冠を御座の前に投げ出す。これは神への敬意を表す行為、つまり神を礼拝している。「主よ、私たちの神よ。あなたこそ、栄光と誉れと力を受けるにふさわしい方。あなたが万物を創造されました。みこころのゆえに、それらは存在し、また創造されたのです。」
「創造する」という言葉が2回出て来る。24人の長老達は特に神が万物を創造されたことを覚えて礼拝をささげている。万物の創造は聖書の最初に出て来る。神は万物の創造主だから、この宇宙も地球も、海も山も陸地も、植物も動物も、そして私たち人間も神の御手のわざだ。私達は神によって造られたものだから造って下さった神を礼拝する。これは最も基本的なことだ。主は、様々な問題を抱えて歩む7つの教会に最も基本的な所に立ち返るように勧めたのである。主は今の私達にも同じように造って下さった神を礼拝することを勧めている。私達キリスト者がまずこの信仰に立ち、この信仰を多くの人達に広げていこう。
