礼拝説教の要旨・2025年8月24日・黙示録5:1-14
“巻物を開く子羊キリスト”
4章はヨハネが見た天国の様子。「御座に着いている方」は創造主である神。また御座の周りに24人の長老達と4つの生き物がいた。5章もヨハネが見た天国の様子だが、4章になかった「子羊」や「巻物」が出て来る。「私(ヨハネ)は、御座に着いておられる方の右の手に、巻物を見た。――7つの封印で封じられていた」1人の御使いが「巻物を開き、封印を解くのにふさわしい者はだれか」と告げたが、その巻物を開ける者はいなかった。それで「私は激しく泣いた」これはその巻物が是非、開かれる必要があることを表す。長老の1人が「泣いてはいけません。ユダから出た獅子、ダビデの根が勝利したので、彼がその巻物を開き、7つの封印を解くことができる」と言う。それで「私」が見ると、御座と4つの生き物と24人の長老達の真ん中に「子羊」が立っていた。しかも屠られた姿で。
「子羊」とはキリスト。「屠られた」とはキリストが私達の罪のために十字架にかかったこと。キリストには7つの角と7つの目(神の7つの御霊)があった。7つとは黙示録の7つの教会を表し、それは当時の全世界の教会を表す。キリストは全世界の教会の主である。「子羊は来て、御座に着いておられる方の右の手から巻物を受け取った」神はその巻物を開くことをキリストに任せた。すると4つの生き物と24人の長老達はひれ伏した。彼らは賛美や祈りによってキリストを礼拝し、キリストが神から巻物を受け取って封印を解くことを非常に喜んだ。巻物は別の言い方では「いのちの書」だ。黙示録にその言及が幾つかある。
3:5「勝利を得る者は、このように白い衣を着せられる。またわたしは、その者の名をいのちの書から決して消しはしない。わたしはその名を、わたしの父の御前と御使い達の前で言い表す。」これは信仰を守り通した人が名前を消されず救いの保証されることである。
20:14-15「それから、死とよみは火の池に投げ込まれた。これが、すなわち火の池が第二の死である。いのちの書に記されていない者はみな、火の池に投げ込まれた」「火の池」とは最終的な神のさばき。だが、キリストを信じていのちの書に名前を記されたら決して滅びない。つまり救いの保証である。
子羊キリストだけが、その血で人々を贖い、「いのちの書」にその人々の名前を記すことができる。ヨハネはしばし激しく泣いたのは、そんなキリストをしばし見失ったからだろう。でも、キリストが巻物を神から受け取る幻を見て安心し大喜び。喜ぶ気持ちが新しい歌に現れる。「あなたは、巻物を受け取り、封印を解くのにふさわしい方です。あなたは屠られて、すべての部族、言語、民族、国民の中から、あなたの血によって人々を神のために贖い、」
また新しい歌には、救われた私達に対する神の期待もある。「私たちの神のために、彼らを王国とし、祭司とされました。彼らは地を治めるのです。」キリストの血によって罪から救われた1人1人は、キリストを王とする王国の民となる。この王国には国境はなくて、どこの国にもキリスト者が存在するならこの王国も存在する。この王国は世界を治める。ただし、私達の権力や能力や財力ではなく、祈りによって。私達は人々のために祈る祭司である。
