マタイの福音書6章34節
だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。
私達は何事につけて心配しやすいものです。明日の仕事や生活、将来の歩み、老後のことなど心配なことを上げたらキリがありません。10年後、20年後の日本がどうなっているのか?少子高齢化は何をもたらすのか?年金はもらえるのか?温暖化している世界はどうなっているのか?人類は続くのか?将来は不安なことだらけです。
そんな私達に対して聖書は「だから、明日のための心配は無用です。明日のことは明日が心配します。労苦はその日その日に十分あります」と教えています。これはその日暮らしで将来のことを何も考える必要がないという意味ではありません。常識的に明日のことや将来のことを考えて、不安な要素があることを知りながら信頼できるお方がいるから心配しないということです。
では、信頼できるお方とはだれか?救い主イエスキリストを与えて下さった天の父(神)です。
天の父が私達に必要なものをキチンと与えて下さるから心配する必要がないのです。
「何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみな、あなたがたに必要であることを知っておられます。」 マタイ6:31-32
さらに聖書は他に心配すべきことがあり、それを熱心に求めたら日々必要なものは与えられると教えています。「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」マタイ6:33
このみことばの後に「だから、明日のための心配は無用です。――」が続きます。すなわちイエスキリストを与えて下さった天の父を信頼しているから、この世に様々な不安要素があることは知りながら心配しないで人生を歩むことが出来るのです。そして大事なことは「神の国とその義」とは何かをよく考えて求めることなのです。