礼拝説教の要旨・2025年10月19日・黙示録7:1-17
“キリストのしもべ十四万四千人とは、だれか?”
7章には、まず4人の御使いが出て来る。彼らは「地にも海にも害を加えることを許された者達」だが、もう1人の御使いが言うことに従って「地の四方の風をしっかり押さえる」
この「地の四方の風」とは神のさばきである様々な災害だ。だが7章では、神のさばきがしばらく休止して地上に平和がある。「もう1人の御使いが、日の昇る方から、生ける神の印を持って上って来る」「日の昇る方」とは東だ。東から来るもう1人の御使いは神のしもべたちの額に印を押す。印とは何か?福音を聞いて信じた者が聖霊によって押されるものだ。
額に印を押された神のしもべは十四万四千人のイスラエルの子らと書いてある。彼らはだれか?異端はこの十四万四千人を自分達の組織に属する人達だと言う。それは間違いだ。
正統的な信仰にも少し違いがあるが、十四万四千人は霊的イスラエルであるキリスト教会だ。
その根拠になるみことばが新約聖書に幾つかある。ローマ2:28-29、10:11-12、ガラテヤ3:27―28聖書の目的は、キリストの体である教会をこの地上に造り、再臨の時が来たらその教会を天に引き上げることだ。
普通、イスラエルの部族リストは最初に生まれたルベンを1番に書くものだが、キリストがユダ族から出たから最初に書いてある。キリストを始めとする教会を表す。部族にはエフライムやダンがないが、12に数を合わせるためにわざとそれらを除外した。主の弟子達も12人だったように聖書で12は完全数だ。各部族から12000人で、イスラエルは12部族あるから12000×12=144000。十四万四千人は精鋭が集められた神の軍隊だ。彼らは8章から始まる大患難時代に激しい試練を受けながら、不思議に守られて乗り越えていく。8章から9章、10章と7人の御使いが神のさばきである恐ろしい患難を地に起こすが、額に神の印を押された人々はその害からかろうじて守られる。
7章は十四万四千人の後、すべての国民、部族、民族、言語から数えきれない大群衆が現れ、御座と子羊の前に立ち、白い衣を身にまとい、手になつめ椰子の枝を持つ。すべての国民、部族、民族、言語とは全人類を表す。大群衆が御座と子羊の前に立つとは天国の様子だ。全人類からたくさんの人々が、天国に迎えられて父なる神と子羊イエス様の前に立つ。
「この人達は大きな患難を経て来た者達」大患難時代を乗り越えた人々。「その衣を洗い、子羊の血で白くした」イエスキリストの十字架の血によって罪の赦しを受けた人々。この大群衆とは大患難時代を乗り越えて来た十四万四千人つまり教会でありキリスト者達だ。7章は、私達キリスト者が大患難時代を乗り越えて主の再臨に出会い、天国に上げられて喜び賛美することを先取りして前もって描いている。「それゆえ、彼らは神の御座の前にあって、昼も夜もその神殿で神に仕えている。御座に着いておられる方も、彼らの上に幕屋を張られる。彼らは、もはや飢えることも渇くこともなく、――」ここからは天国のことではなく現在のことだ。「その神殿」とは今の教会。私達はこの世で神に仕えているが、子羊が私達の牧者だから神の守りと導きがある。「神は彼らの目から涙をことごとくぬぐい取ってくださる」辛いことや悲しいこともあるが、神から慰めがあり希望が与えられる。
