礼拝説教の要旨・2025年1116日・黙示録9:12-21

“悔い改めを迫る二億の騎兵”

神は私達を救うために罪を認めさせる。それが悔い改め罪とは私達が何か悪いことをしたのではなく真の神から離れることだそれは無神論、偽の神をあがめること、偶像礼拝だ。真の神は愛だけでなく義であり聖だから、真の神から離れると罪の支配下だ。人間である以上、だれでも罪の支配下にある。でも、キリストの血によって私達の罪は赦され救われる。この世ではキリスト者とそうでない人に大きな差はあまりないが、世の終わりのキリスト再臨のとき大きな違いが現れる。罪の赦しがあるキリスト者は救われるが、そうでない人は神のさばき滅ぼされる。だから先にキリストを信じて罪の赦しを受けた私達は人々に自分の罪を認め、キリストを信じるよう勧める。こは再臨が真近な患難時代にも続く。

神は患難時代に大きな苦難を与えることで人々を悔い改めに導こうとする。9章前半で第五の御使いのラッパによってイナゴの患難が起こった。イナゴのサソリのような針に神の印が額にない人々(キリスト者ではない人達)は刺され、彼らは死にたいほどの苦痛がありながら死ねない苦難を味わうが、彼らは悔い改めな。それで9章後半で第六の御使いのラッパによって大河ユーフラテスにつながれていた4人の御使いが解き放たれ、二億の騎兵が現れ、騎兵の口が吐き出す火と煙と硫黄によって人間の三分の一が殺されイスラエルとその周辺で起こる世界最終戦争の預言だと言う人達がいるが、れはむしろイスラエルの局地的な患難ではなく全世界に広がる患難だ。火と硫黄は神のさばきで滅んだソドムを思い出させる。神が忌み嫌う悪い行いが横行していたソドムからロトが出て行ったその日に火と硫黄が天から降り、ソドムの町を滅ぼしたが、それと同じように二億の騎兵がまき散らす火と煙と硫黄によって人間の三分の一が殺される。それは人間に対する神のさばきだ。では、この神のさばきは何のためか?三分の二の人間は生き残るから、その人達がやがて悔い改めてキリストを信じるためだ。書いてはないが、背後には何人かでも悔い改めに導き、救おうとする神の愛がある。

それとともになかなか悔い改めない人間の頑なさも書いてある。「これらの災害によって殺されなかった人間の残りの者たちは、悔い改めて自分達の手が造った物から離れることをせず、―――自分達が行っている殺人、魔術、淫らな行いや盗みを悔い改めなかった」

だから患難時代来る前にできるだけ多くの人々のために祈り、福音伝えておくべきだという教え引き出せるけれども患難時代来てしまったら私達どうするか?そんな時代でも私達はその働きを続ける必要がある。ソドムロト励ましになる。御使い達はロトに「この町にいる身内の者をみな、この場所から連れ出しなさい。私達はこの場所を滅ぼそうとしている」と語り、ロトはそれに従い、婿達に「この場所から出なさい。主がこの町を滅ぼそうとしている」と告げた。でも、婿達はそれを悪い冗談と思った。私達も“キリストの再臨が来たら世界のさばきが始まる。だから悔い改めてキリストを信じてください”と語るが、それは人々にはおとぎ話のように思われてしまう。でも、主は私達に福音を語らせる。祈り、執り成し、福音を語ることがキリストの再臨を待ち望む私達のすべきことだから。