礼拝説教の要旨・2026年3月15日・ヨハネ15:18-16:15
“迫害下で真理に導く御霊の働き”
3回目の告別説教からの学び。主が世を去ると迫害が起こる。弟子達も私達も普段、世の人達と仲良くし良い関係を持とうとするが、迫害のときには人々に憎まれる。その理由はキリスト者は世から選び出されて世のものではないからだ。なぜ主はそれを前もって教えたのか?迫害に耐えられず信仰を捨てることがないようにするためである。「あなたがたを殺す者がみな、自分は神に奉仕していると思う時が来ます」迫害者達は自分達が行う非情なことを神への奉仕と思って行う。ローマ帝国のキリスト者迫害も江戸幕府のキリシタン弾圧も同じだ。主は、自分が去ることを悲しむ弟子達に自分が去ることは益だと語る。「わたしが去って行かなければ、あなたがたのところに助け主はおいでになりません。でも、行けば、わたしはあなたがたのところに助け主を遣わします」助け主がもたらす益とは世の誤りを明らかにすることだ。主は罪と義とさばきについて語る。
まず罪について「彼らがわたしを信じないから」世の価値観では信じても信じなくても自由。何を信じるかも自由。だが、キリスト者は主を信じないことは罪だと考える。この信仰があるからこそ迫害を乗り越えることができる。
義について「わたしが父のもとに行き、あなたがたがもはやわたしを見なくなる」これまで弟子達は目に見える主に頼ってきたが、それは過渡期の在り方だ。主がいなくなると、みことばを通して父、子、聖霊の三位一体の神を知り、その神に頼るようになる。それが正しい在り方だから主がいなくなることは益だ。とすると、初めからみことばを通して主を知り、父なる神を知り、聖霊を知って三位一体の神を信じる今の私達は幸いだ。
さばきについて「この世を支配する者がさばかれた」参照12:31‐32「今、この世に対するさばきが行われ、今、この世を支配する者が追い出されます。わたしが地上から上げられるとき、わたしはすべての人を自分のもとに引き寄せます」この世を支配する者が追い出されるとは、主の十字架によって救いの道が開かれて多くの人々がその道を歩むようになることだ。だから主が十字架にかかっていなくなることは益である。
最後に益とは御霊の働きによって真理に導かれることだ。「あなたがたに話すことはまだたくさんありますが、今あなたがたはそれに耐えられません。しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導いてくださいます」主は弟子達が学べる容量を考慮して話すことを制限するとともに、まだ学ぶことがあると知らせる。知らせるのは真理の御霊だ。現象としてはペンテコステに御霊が注がれて宣教が始まり、それ以来、御霊が働いてキリスト者達に真理を教え続け、宣教に押し出し、世界宣教が進み、これからも進むことだ。ただし御霊とともにみことばが働く。みことばが語られるからこそ人々が救われて教会が生まれ、宣教が進む。聖霊だけを強調すると過激な体験主義に陥る。また1つのみことばだけを文脈と関係なしに取り出し、そこから教えを発展させる人達には警戒する必要がある。異端はそのやり方で邪悪な教えを発展させる。聖書は文脈と聖書全体を考えて読もう。平和な時でも迫害の時でも御霊とともに働くみことばに教えられていこう。
