礼拝説教の要旨・2025年9月21日・ルカ9:7-9
“ヘロデさえ引き寄せる主のお導き”
ヘロデ・アンティパスはヘロデ大王の息子でガリラヤの領主だった。彼には異母兄弟のピリポがいた。その頃、バプテスマのヨハネが現れてたくさんの人々が彼のもとに集まってきた。
ヨハネは神のさばきを語り、人々を悔い改めに導いた。ヨハネの噂は王宮にいたヘロデのもとにも届いていた。ヘロデはナバテア王国のアレタス王の娘と政略結婚をしたが、兄弟ピリポの妻ヘロディアに熱を上げ、アレタスの娘は実家に逃げ、ヘロデはヘロディアをピリポから奪って結婚した。ヨハネは彼を非難した。「領主ヘロデは、兄弟の妻ヘロディアのことと、自分が行った悪事のすべてをヨハネに非難されたので、すべての悪事にもう1つ悪事を加え」ヘロデは非難されて政治生命がなくなることを恐れてヨハネを投獄したが、ヨハネに関心を持っていたから殺さないで保護し、その教えを聞いていた。だから牢獄のヨハネは、外にいた時と同じように弟子達と自由に面会できた。
その後、ヘロデの誕生日にヘロディアの娘が踊り、それが人々の間で大好評だったので、ヘロデは娘に「何でも欲しいものをあげよう」と言い、それを皆の前で誓った。娘が母ヘロディアに相談すると、母は以前からヨハネを亡き者にしたいと願っていたから「バプテスマのヨハネの首を」と言うと、娘はそれに従った。ヘロデは困ったが、みんなの前で誓ったので不本意ながらヨハネの首をはねて娘に渡した。ヘロデは恐れ敬っていたヨハネを自らの手で殺して屈折した罪意識に陥った。しばらくして後、イエス様の宣教活動の噂が耳に入ってきた。ある人達は「ヨハネが死人からよみがえったのだ」と言い、別の人達は「エリヤが現れたのだ」と言い、さらに別の人達は「昔の預言者の1人が生き返ったのだ」と言った。どの意見も噂のイエス様をヨハネと同じだと考えていた。
一方、ヘロデも初めは「私が首をはねた、あのヨハネがよみがえった」と言っていたが、「ヨハネは私が首をはねた。このようなうわさがあるこの人は、いったいだれなのだろうか」とイエス様とヨハネの違いに気づいてイエス様に会ってみたいと言った。どうしてか?断定はできないが、ヨハネは罪の赦しに導く悔い改めのメッセージを語っただけだが、イエス様はそれとともに癒しや悪霊追放を行ったことに気づいたかもしれない。また「私よりも力のある方が来られます。私はその方の履き物のひもを解く値打ちもありません」を牢獄のヨハネから聞いて、それを思い出したかもしれない。いずれにせよ、イエス様に関心を持ったことは主のお導きだ。イエスキリストに関心を持つことは救われるために必要で基本的な主のお導きだ。「信仰は聞くことから始まります。聞くことは、キリストについてのことばを通して」大切な点は「キリスト」だ。ヘロデは「すべての悪事にもう1つの悪事を加えた」と評された悪者だが、そんな彼をも主はまずヨハネを通して導き、さらにヨハネからイエス様への関心を持たせた。神はヘロデを見捨てていなかった。神は、私達が見捨てるようなこの世の悪者をも見捨てず、何とかキリストに導こうとする。「わたしは決して悪しき者の死を喜ばない。悪しき者がその道から立ち返り、生きることを喜ぶ。立ち返れ。悪の道から立ち返れ」これが神の愛だ。だから“あんな人は救われない”と思う人のためにも祈ろう。

本日はお世話になりました。隈井多恵子の長男、清隆です。
大変勉強になり、父も少し気が楽になったと思います。なるべく行ける時は行くつもりです。
内田先生との映画の話も大変勉強になりますし、今後ともよろしくお願いいたします。
失礼します。私はヨブ記が好きです。