礼拝説教要旨・2025年1012日・ルカ9:8-2

“あなたがたはイエス様をだれだと言いますか”

無名だったイエス様有名になってきた頃イエス様ついて様々な噂があり弟子達も当然、それを聞いていた。弟子達自分のことをどう思うのか気にして弟子達に「群衆はわたしのことをだれだと言っていますか」と尋ねた。彼らはバプテスマのヨハネエリヤ預言者1生き返ったという話した次にあなたがたは、わたしをだれだ言いますか尋ねるとペテロが「キリストです」答えたキリストとはメシア注がれたである。イスラエルとってメシアとは、ダビデ子孫となるである。その通りにダビデ王朝続いたが、ダビデ王朝途絶えたダビデの子孫となるという思想イスラエル続いていた。ところで、イエス様はダビデの子孫だ。その後旧約時代と新約時代の間中間時代にイスラエルは大国に支配されて政治的な苦難を味わうようになると、イスラエル人は独立を取り戻してくれる政治的なメシアを待望特にの終わり頃、ローマの支配下自分達の国を再興する王を熱烈に求め

だから新約聖書にはイエス言う箇所たくさんある。「娘シオンに言え。見よ、あなたの王があなたの所に来る。ホサナ。祝福あれ、主の御名によって来られる方、イスラエルの王に。」「先生、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です」王であるイエス様に対して弟子達は世俗的な期待抱いていたゼべタイの子ヤコブとヨハネ国を再興した時には「1人をあなたの右に、もう1人を左に座るようにしてください」とお願いした。それを聞いて他の10腹を立てた同じような期待いていたが主はデリケート問題避けるために自分がキリストであることをだれにも話さないよう命じたさらに世俗的な期待を完全にシャットアウトするために、本当の神のご計画をズバリ語った「人の子は多くの苦しみを受け、長老達、祭司長達、律法学者達に捨てられ、殺され、三日目によみがえらなければならない」主はイスラエルを代表する人々に捨てられて殺される。イスラエルの王としてたたえられるのとは全くになる。これが神のご計画

マタイ16章はペテロが反発し主が彼を戒め様子が、ルカは自分達期待にまったく反するご計画突き付けられチャレンジ描く私達は自分期待することが神のご計画であることを望むが、そうならないことがよく起こる自分を捨て、日々自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい」自分いのちを救おうとするそれを失い――人は、たとえ全世界手に入れても――これらはすべて計画従うために自分あり方変えるチャレンジ「だれでも、わたしとわたしのことばを恥じるなら、人の子もまた、自分と父と聖なる御使いの栄光を帯びてやって来るとき、その人を恥じます」主の十字架恥と思うなら、再臨のときその思うだから主の十字架誇りせよと教えたその時弟子達まったく理解できなかったがの十字架の死と復活の後、理解でき主の十字架を誇りするようになった。彼らは自分達何も分かっていなかった恥ずかしく思ったであろう。今の私達はを信じて救われ大したことはできないが、少なくともの十字架は誇り。これは幸いなことである