礼拝説教の要旨・2025年11月23日・黙示録10:1-11
“口には甘く、腹には苦い小さな巻物”
キリストの再臨の時、救われる者と救われない者が明確に分けられる。その時に1人でも多くの人達と一緒に喜ぶことができるために私達は今、祈り、執り成し、福音を伝えている。再臨の直前に患難時代があるが、福音を伝える最後の機会だ。患難時代は6章から始まる。子羊キリストが第1から第6の封印までを開き、天変地異が起こる。7章では封印は開かれず、しばらく静かな時になり、神のしもべ達(キリスト者達)の額に神の印が押される。その数は14万4千人。それは患難時代を通り抜けるキリスト者を象徴的に表す。8章では子羊キリストが第7の封印を開き、7人の御使い達が現れ、第1から第4までのラッパを吹いて様々な災害が起こる。9章では第5のラッパでイナゴの災害が起こり、額に神の印のない人達(非キリスト者達)が5カ月間、苦しむが死ねない苦痛に遭う。だが、人々は悔い改めなかった。第6のラッパでユーフラテス川に二億の騎兵が現れ、口から火と煙と硫黄を吐き出して人間の三分の一を殺した。だが、生き残った三分の二の人々は悔い改めなかった。
10章では、再び災害は休止し、「私」と言うヨハネは天から来る御使いの幻を見る。頭上に虹、顔は太陽、足は火の柱のようだ。この御使いは小さな巻物を持ち、右足を海の上に、左足を地の上に置く。獅子のような大声で7つの雷それぞれが語る。ヨハネは7つの雷が語ることを書き留めようとするが、「封じておけ。書き記すな」という天の声に留められる。この御使いは右手を天に上げ、創造主である生ける神に宣誓し「もはや時は残されていない。――神の奥義はーー実現する」と語る。これは第7の御使いによる神の最終的なさばきが近いことだ。次に天の声はヨハネに「御使いの手にある、開かれた巻物を受け取りなさい」と語る。彼が御使いのところに行き「私にその小さな巻物を下さい」と言うと、御使いは彼にそれを渡し「食べなさい。それはあなたの腹には苦いが、あなたの口には蜜のように甘い」と語る。彼が食べると、本当に巻物は口に甘く、腹に苦かった。
これを聞いた初代教会の人々はエゼキエル2:1-3:15を思い出したに違いない。昔エゼキエルは預言者としてイスラエル人に遣わされるとき「人の子よ。あなたは彼らや彼らのことばを恐れるな。――この巻物を食べ、行ってイスラエルの家に告げよ」と命じられた。その通りに食べると巻物は口の中で蜜のように甘かった。ところで、ヨハネの巻物はエゼキエルと同じように口に甘かったが、腹に苦い点は違う。その巻物を食べること、その巻物が口に甘いこと、腹に苦いことという3つの点を考えてみよう。その巻物を食べることとはみことばを聞き、読み、守ることだ。参照1:3。その巻物が口には甘いとは、みことばは私達を喜ばせる良い知らせをもたらすことだ。たとえば、救い、罪の赦し、罪からの解放、癒し、天国など。その巻物が腹に苦いとは何か?腹とは私達の心であり、心にみことばが入り、
私達の罪を明らかにすることだ。それは私達を悔い改めに導くためだ。患難期の恐ろしい災害に遭っても人々は悔い改めなかったが、みことばだけが人々を悔い改めに導くことができるからだ。だからみことばを最後の最後まで伝える必要がある。「あなたはもう1度、多くの民族、国民、言語、王たちについて預言しなければならない。」
では、最後にその巻物が口には甘くけれども腹には苦いとは何なのか?私達が耳でみことばを聞くと、そのみことばは私達の心に入ります。だから腹とは私達の心です。そして耳で聞いたみことばが私達の心に入ると苦いものになる。それはどういうことか?
それはみことばが私達の罪を明らかにすることです。もっと厳しい言い方をすると、私達の罪を暴くということです。みことばを語り、そのみことばが人々に心に浸透すれば、必ずそのみことばは人々の罪を明らかにさばいて、みことばは人々の心に苦いものとなります。
では、何のためにみことばは人々の心の中で苦いものとなるのか?それは人々を悔い改めに導くためです。患難時代で人々は死ぬほどの苦痛に遭いながら死ねない災いに遭い、さらに人間の三分の一が死に三分の二はかろうじて生き残りましたが、人々は悔い改めを拒みました。災害は人々の弱さやはかなさを示しても人々の内なる罪を示すことはできないからです。
そんな頑なな人々を悔い改めに導くには、彼らの内なる罪を示す必要がありますが、それができるのはみことばだけです。みことばによって内なる罪を示されて、悔い改めて、その血によって罪の赦しを与え、救って下さるキリストの十字架が分かります。だから主はヨハネに最後の最後までみことばを伝えなくてはならないことを小さな巻物の幻を通して伝えました。
11節で主はヨハネに「あなたはもう1度、多くの民族、国民、言語、王たちについて預言しなければならない。」と語りました。患難時代でもうしばらくすると、キリストが再臨して終わりになるかもしれないのに、主は改めてヨハネに世界に出て行き、みことばを語りなさいと言いました。これは最後の最後までみことばを語りなさいということです。
さらに、このみことばはヨハネだけでなく、私達にも与えられています。だからキリストが来られる直前まで、祈り、執り成し、みことばを伝える者を目指しましょう。
