礼拝説教の要旨・2026年3月22日・ヨハネ16:16-33
“しばらくして得られる復活の喜び”
イエス様は十字架に向かっていたが弟子達はそれが分からず、主がメシアとしてイスラエルの国を再建し、かつての栄光を取り戻すことを期待していた。両者の目指すところは全く違っていた。13章で主は最後の食事を共にし、1人1人の足を洗って愛を表し、1人の裏切りを語り、弟子達に緊張が走ったが、その中で告別説教を語った。「しばらくすると、あなたがたはわたしを見なくなるが、またしばらくすると、わたしを見る。わたしは父のもとに行くからだ」とか「女が子を産むとき、苦しみます。自分の時が来たからです。しかし、子を産んでしまうと、1人の人が世に生まれた喜びのために、その激しい痛みをもう覚えていません」と十字架の死と復活を予告した。さらに「あなたがたはそれぞれ散らされてーーわたしを1人残します」と弟子達が主を見捨てて逃げることも予告。弟子達は分かった気持ちになるが、分かっていない。告別説教の本当の意味は主の復活後に分かる。その意味とは
主の死と復活と同じように主を信じる弟子達や私達は本当に死ぬのではないが、霊的に死んでよみがえり、新しい歩みを始める。ローマ6:4「キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも新しいいのちに歩むため」新しい歩みとは何か?「わたしの名によって」が3回出て来る。それはイエスの御名で祈ること。その時以来、キリスト者はそうしている。今後も続けるだろう。イエスの御名によって祈れば、父なる神が働く。御子と御父は1つの密接な関係を表す。その関係は「わたしは父のもとから出て、世に来ましたが、再び世を去って、父のもとに行きます」や「わたしの父の家には住む所がたくさんあります。――わたしが行って、あなたがたに場所を用意したら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます」に現れている。私達が主を信じるなら神の子となり、神の子である私達のために父の家に場所を用意してくださる。私達は主イエスを通して父の家に住むことができる。別の言い方だとキリスト者が天の御国を相続することである。弟子達は天にある父の家にやがて住むことを信じ、それを希望として歩み出す。
14:6「わたしは道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません」イエスキリストは天にある父の家に通じる唯一の道だ。これが分かると弟子達はこの世でイエス様を中心にしてイスラエルの国を建て直すことよりも天にある父の家に通じるイエスキリストを宣べ伝えることが大切だと悟る。またイエス様は復活後、40日経って「世を去って父のもとに行きます」の通りに天の父のもとに帰られた。そうなると、イエス様を中心にしてイスラエルの国を建て直すことはできないから、神のみこころはこの世にイスラエルの国を建て直すことではなく、イエスキリストを宣べ伝えることだと弟子達は確信し、過去に決別し、新しい歩みを始める。ところで、新しい歩みを始めるとき未知の世界に入っていかなくてはならない。人は恐れたり、たじろいだり、挫折したり様々な困難を覚える。主はそのことも前もって考慮し「世にあっては苦難があります。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ちました」と励ましを語る。主を信じて新しい歩みを始めている私達もこのみことばによって励ましを受け、勇気を出そう。
